just friend を喪う:ハーベスト社小林達也さんを悼む

FBのつながりのなかで、出版社ハーベスト社の小林達也さんの急死を知った。合掌。

20代から30代の駆け出しの頃、いつも小林さんに会っていた気がする。所属する学会の大会や研究会に出ると、いつも小林さんが本を売っていた。そして、いつも気さくに声をかけてくださった。でも、あまり長く話すことはなかった。今から考えると、なぜだったのだろう。

当時、ある学会の機関誌を、元の出版社からハーベスト社に切り替えるということがあって、その作業を担当の編集委員長3代にわたって手伝った。といっても、私の仕事は元の出版社を切る方だったので、小林さんと機関誌の明るい未来を語り合うことはなかった。今から考えると、どうしてあんな気の滅入る仕事をやらされたのだろう、と思うけれど、たぶん元の出版社が私の師匠と深く関係していたからなのだろう。もうその出版社はない。

その後も、小林さんと仕事の話をすることはほとんどなかった。FB上で、若い社会学者たちが小林さんとの最初の仕事の思い出を書いているのを見ると、嫉妬ではないが、遠い感じがする。私にはそうしたことはなかった。

私が学会から足が遠のいて、長くお会いする機会がなかったのだが、病気をした後FBを書くようになって、そこでつながった。そこでも仕事の話はほとんどなく、音楽の話を中心に、小林さんの多彩な趣味に驚かされ、学ぶばかりだった。

2年くらい前に、どこかで偶然お会いしたとき、「中筋さんの仕事、ずっと興味を持っていました」と言ってくださった。私はすぐに、決して悪い意味ではなく、「仕事上は縁がなかったし、これからもないですね」という意味だと察した。そして、何だか、とても温かい気持ちになった。だから、小林さんは私にとって(C.フィッシャーのいう) “just friend” だったのである。だから、とても悲しい。

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「新幹線の社会学」終了します

出版社の方と雑談をしていたとき、つい「これだけ新幹線に乗っているのだから、『新幹線の社会学』が書けますね」と言った。言ったついでに、このブログで「新幹線の社会学」と名付けたシリーズを不定期で書き始めた。

東海道新幹線の、名古屋東京(新横浜)間を「のぞみ」で往復しているだけで「新幹線の社会学」もないものだが、それまでの経験も含めて色々気づいたこと、考えたことを書き継いでいけるのではないかと思った。何より、乗っているときに見聞きすることが、どれも面白かったのである。

しかし病気をしてから、それまで週2往復だった(子どもが小さい頃は、3往復することも多かった)のを1往復(プラス不定期1往復)に減らした上、乗る列車を上りも下りもほぼ同じにしたので、経験に幅がなくなってしまった。乗っていて「面白くないな」と思っていたが、それは乗る側のマンネリのせいである。私の乗る時間の上り下りは、名古屋か大阪から新横浜から東京に出る「地方」人しか乗っていない。横浜の事業所に出張するパナソニックのサラリーマンとか、ディズニーランドに遊びに行く岐阜の農家の(複数の)家族とか。「東京」人は乗っていないのである。そもそも、働くために乗っている人が何だかグッと少なくなった。というわけで、12回目の今回で、この連載をお終いにしたい。

最後に、私の思い出の新幹線を。駅のエスカレーターの緑色のランプ。冷房のブオーンという音が響くプラットホーム。パタンと背もたれを折り返すリクライニングしない座席。トイレ横の紙コップで飲む冷水。まだ車庫で駅ではなかった、品川付近を通過するときの音楽。そして何より、名古屋駅で積み込まれ、まだ温かかった浜松自笑亭のうなぎ弁当。小学校2年生の夏休みの自由研究は、東海道線の駅と駅弁の地図だった。

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関西電力と「家族の秘密」:一連の報道にモヤモヤする

一連の関西電力の不祥事報道、私はずっと、フロイト=ティスロン(『家族の秘密』文庫クセジュ)的な意味でモヤモヤしながら見ている。

小学校に上がるとき、私の家族は神戸の下町の実家を出て、山の手のマンションに引っ越しした。私は嫌で嫌で、もともと行くはずだった小学校に越境すると言って、幼稚園の先生を困らせた。家族のなかでは、引っ越しは私や弟妹の進学のため、祖父母の納得の上だということになっていたし、今までそうだと信じてきた。しかしほんとうにそうだったのか。

そのマンションは、父の会社のグループ会社が建てたもので、たぶん優先枠があったのだろう。高価な角部屋は同じグループの商事や重工、そうでない部屋は電機や自工といった感じで、うちはそうでない部屋の方だった。まさに侍長屋である。

引っ越して1年間は、父は日曜は必ず家にいて、一緒に外大のグランドで紙ヒコーキを飛ばしたり、夕食にお好み焼きを焼いてくれたりした。ところが2年目くらいから急に忙しくなり、歯はタバコで真っ黒、帰宅は遅くなり、泊まりも増えた、ある日「お父さん、今日帰ってくるの」と母に尋ねたら、母は「妾の子みたいなこと言うな」と激高した。その頃から父母の会話に、大飯とか美浜とか高浜といった言葉が聞かれるようになった。おみやげに「小鯛の笹漬け」が増えた。省みれば、父の方が関西電力の妾だったのである。

もう1つ、その頃から急に盆暮れの贈答が増えた。最近閉店した、三宮のそごうデパートの外商部に家族で出かけるようになった。課長になるかならないかのサラリーマンが外商部?。ずっと後で大学院に合格したとき、母は大井の牛肉の味噌漬けを提げて師匠にあいさつにきた。にこやかに受け取った師匠は、後で私を呼び、「こうしたことは二度としないように。私たちの世界はそうした世界じゃない」と言われ、私は赤面した。でも、これも省みれば、そのとき私は父の世界、ニッポンのカイシャの世界から一歩離脱できたのだ。

何年か経って、父はそうした仕事から外れることになったらしく(外れるのではなくて、原発ができてしまったのだ)、打ち上げということで、関西電力のエラいさんのカバン持ちで、二度も世界一周旅行をした。父は虫歯の悪化とか、旅行中に何度か体調を崩したらしい。それが何のせいだったか、今になると分かる気がする。父はそれなりにいいヒトだったのだ。

で、である。みんな信じられない悪行だ、とか言っているけど、ほんとうかな。昭和のニッポンのカイシャ、ニッポンのおヤクショはどこもそうだったんじゃないの。いや、幼かったから知らないというかもしれないが、それはウソで、みんなニッポンのカイシャ、ニッポンのおヤクショで働くお父さんたちの「子ども」(M.ウェーバーの言い方)じゃないの。と、モヤモヤしているのである。

昔同僚の中西洋先生に「サラリーマン社会こそ日本の深刻な問題だ」と言って、「それは君の問題だろう」といなされたが、やはりこの問題に、私はこだわっている。ただ、今回の報道が照らし出したもう1つの問題は、石牟礼道子ならネクタイコンブと言うであろうサラリーマン社会の外側には、石牟礼が描いたような豊饒な農山漁村が広がっているのではなくて、別の暗がりが広がっているということではないだろうか。

 

 

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すべてのものは主の御手に:歌手ジェシー・ノーマンの訃報

昔「社会学原論」の授業で吉田民人先生が、「声楽をやっているうちの娘が、ジェシー・ノーマンと握手した手を洗おうとしない」とおっしゃった。初中終舟を漕いでいた私も、その時だけは目が覚めて、「ふん」という顔をした。なぜなら、その頃私はジェシー・ノーマンの声に惚れ込んでいて、はじめて買ったCDプレーヤーで『黒人霊歌集』を何度も何度も聞いてたからだ。できることなら、あの声と結婚したい、と真剣に思った(連れ合いは全然別種の声です。念のため)。

ウェブ動画の時代になって、たまたまどこかの歌劇場で『ワルキューレ』のジークリンデを歌うのを見た。夫のDVの上に兄妹相姦で結局みんな死んでしまう陰惨な役なのに、そしてあの豊満な容姿なのに、そこには確かに純粋で、喜びに満ちた少女がいた。きっとあの少女は、彼女が生涯心の中に抱き続けてきた「私そのもの」にちがいない。

今私は、S.イェルザレムと組んだマーラー『大地の歌』を聞いている。買うのにかなり逡巡した。きっと合わないと思ったのだ。たしかに限りなくリッチな彼女の声はストーカー気味の初老の男の寂寞には似合わない。S.カツァリスがピアノを弾いたB.ファスベンダーのリーンな声が、この曲には似合う。

やはり、私にとってのジェシー・ノーマンは、黒人霊歌「すべてのものは主の御手に」だ。『黒人霊歌集』には入っていないが、彼女のリサイタルのアンコールの定番で、ラジオ中継で何度も聞いた。ライブCDにも収録されている。

歌手ジェシー・ノーマンの訃報。享年74。すべてのものは主の御手に。

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『生活工芸双書 大麻(あさ)』(農文協)書評

書評を頼まれたので、思い出話を交えながら、書いてみた。私の評はたいしたことないが、本はとてもいい本です。お薦めします。

http://toretate.nbkbooks.com/9784540171147/

農文協(農山漁村文化協会)、農水省の宣伝カーと見る向きもあるけれど、もともとは(今も)別の団体で、出版社というよりは運動団体といった方がいいと思う。

前の大学に勤めはじめた頃、大学周りの営業の方が訪ねてこられ、少し話し込んだことがあった。私のいた山梨大学(旧)教育学部社会学研究室の最初の教員は民俗学者の服部治則先生で、山梨県の山間部の親族組織の大家だった。私は一度だけお会いしたことがある。そんな話から、やがて話は、農文協の卓越したオルガナイザーだった守田志郎先生の話になった。「私の先生は学部学生の頃、『日本の村』(朝日選書)を薦めました。また大学院では『地主経済と地方資本』(東大出版会)を熟読するよう言われました」「そんなエライ先生なのですが、私たちには一緒に村々を講演して回る得難い兄貴分でした」

農文協の本を手に取ると、当時の会話をいつも思い出す。

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最後のウィーン三羽烏:ピアニスト、バドゥラ=スコダの訃報

金曜日の朝刊にピアニスト、パウル・バドゥラ=スコダの訃報が載っていた。享年91。先にシューベルトのピアノソナタ全集にはまっていると書いて、その後ベートーヴェンのピアノソナタの弾き方の本を読んでみようかなと思っていたところだった(もちろんエアーですよ)。

私のCDコレクションには、彼のディスクはシューベルト以外には1点しかない。それはモーツァルトのヴァイオリンソナタ選集で、若い頃にオイストラフの伴奏を務めたものだ。ところが、この演奏が実につまらなくて、私はながく彼を好んでいなかった。聞く度に誰か他の人が弾いてくれないかな、と思っていた。

それが、シューベルトの方は全然ちがい、一音一音よくよく考えた感じがあって、にもかかわらず自然に流れていく。弾いている当時のフォルテピアノ(ペダルでシンバルが鳴るものある)も彼が収集したものだそうだ。

記事には「20代でフルトヴェングラーやカラヤンに絶賛され」「品格ある正統的なスタイルで演奏」「グルダやデームスとともに『ウィーンの三羽烏』と呼ばれた」と,ひどく薄っぺらな世評が引かれている。私は、そんな風に評され続けてきた彼の人生航路を想像してしまう。

私がクラシックを囓りはじめた1980年前後は、圧倒的にグルダが人気で、デームスはバリトンのフィッシャー=ディースカウの伴奏者程度の取り扱いだった。スコダに至っては、まったく消えていた。今グルダを聞いている人はいるだろうか。デームスのシューマン全集を聞いている人はいても(私は持っていない)。

薄っぺらい世評と分厚い演奏歴の落差、これはカラヤンに代表される20世紀のクラシック音楽の宿命だったと思うが、でもそれはクラシック音楽だけのことだろうか。そして21世紀、薄っぺらい世評の時代は終わったと思いたい。

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よし、わかった!:市川安紀『加藤武 芝居語り』を読む

表紙からして変な本。熊井啓監督『黒部の太陽』のスチルのようだが、大口を開けて走ってくる現場監督の加藤武の顔は、黒澤明監督『隠し砦の三悪人』の冒頭で惨殺される落武者と変わらん。というか、『蜘蛛巣城』でも『用心棒』でも大オーバーな形相で惨殺されてたなあ、この人。その上に赤い毛筆体で「因果と丈夫なこの身体」だと。何なんだ、この本は。

新婚の頃荻窪四面道に住んでいて、荻窪駅西口の改札で、よくこの人を見かけた。見た目は実に渋い老人なのだが、つい「よし、わかった」と声をかけそうになる。私たちの世代には、惨殺される落武者より、石坂金田一の前で胃薬を吹き出す等々力警部の加藤武が懐かしい。

しかし、本の中身はなかなかすばらしい。何より加藤の記憶力がスゴい。あれだけ映画に舞台に出まくっていて、全部覚えている。ただしどの話もオーバーなのが、等々力警部の本領発揮。なかでも『用心棒』の兄貴分、西村晃へのリスペクトが感動的。逆に文学座の盟友、北村和夫の評価が微妙に低くて、これも面白い。北村の不器用な演技を腐せるのは器用な加藤しかいないだろう。

この本の一番の資料的価値は、文学座の女王蜂システムを余すところなく語っているところだ。いくら杉村春子が名優だからって、あんなに長くトップでいられるはずがないと素人は思うのだが、加藤のような忠実な働き蜂がいて成り立っていたことが分かる。文学座のこのシステムについては、北見治一(伊丹十三監督『あげまん』の冒頭にちょっとだけ出ていたのが遺作か?)の『回想の文学座』(中公新書)がある程度まで描いていたが、北見は忠実な働き蜂ではなかったので、今ひとつ分からなかった。

黒澤明監督の『赤ひげ』のなかで若い女優たちに大根で殴られていた名優杉村春子、晩年ちょっと追っかけるように舞台を見て、どれも感心したけれど、女王蜂にかしづく気持ちは分からない。ええっ、5年前に誰かさんにかしづいていたでしょう、と連れ合いは言うけれど。

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2019年の栗拾い

台風が来る前にと、開園前に並んで豊田市香嵐渓の「みたち栗園」で、例年通り栗拾い。収穫は189個、今年は親子3人なので渡された袋が3つだが、粒が小さいので例年の3分の2より数は多い。ただ例年のルートを回っても袋がいっぱいにならず、いつもなら選んで道ばたに置いていく大きさのものまで詰めて何とかいっぱい、というわけで、満足感は今ひとつ。

これも例年通り夕食は栗たっぷりの栗ご飯。子どもは「まだ甘くないね」というが、採ったばかりのみずみずしい旨味のある栗こそは、売っているのでは得られない味覚だよ。甘い栗は、これから冷蔵庫に寝かして、黴びないように露をこまめに拭いて、まあ2週間かな。

そういえば、林の中でミンミンゼミが鳴いていた。もう10月も近いのに。一時西日本から東日本へと、温暖化に連れてクマゼミがミンミンゼミを駆逐しているという説があったが、最近はそうではない説が唱えられているらしい。ミンミンゼミの逆襲か。

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幸福の青い鳥来る:早朝の職場にて

早朝の研究室、空気を入れ換えようと思って廊下の窓を開けたら、小鳥が飛び込んできた。追い出そうとしたけれど、廊下を飛び回った挙げ句、窓に激突、落下。ここで死なれては寝覚めが悪いので(というより後始末が大変なので)、そーっと忍び寄って、ワークジャケットをふんわり掛けて確保。そのまま包んで窓の外へ。すぐ飛び去るかと思いきや、まだ入りたそうに、窓の外に留まっていた。

もしや幸福の青い鳥。それとも今夜東京の果てのアパートの前に、青い服を着た美しい女性(またか!)が「今朝助けていただいたイソコと申します」。残念、今日は名古屋に帰ったので、たぶん恩返しの不在票が入っているだろう。しかし、「イソコ」では雰囲気ないなあ。ネットで調べると、どうやら名前は「イソヒヨドリ」らしいのだけれど。そもそも青いのはオスだし。写真は、ガラケーなので画質悪し。

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「自己肥料化願望」起こる:ある研究会に参加して

「亡くなる直前に、安丸良夫先生に研究を見ていただいたら、『これでよい』と言われました。」「いいなァ・・・。俺なんか、本出したら即レスで折原浩先生から『君のウェーバー理解はなっとらん』の大目玉の手紙だもんな。手紙、まだネットに上がってるし。」

幹事の先生からお誘いを受けて、折原先生が中心の「比較歴史社会学研究会」に参加した。私のただ一冊の代表作(笑)『群衆の居場所』と対象がほぼ重なる、東京女子大の藤野裕子先生の『都市と暴動の民衆史』(有志舎,2015)を著者を招いて議論する会だった。対象書については、すでに『大原社会問題研究所雑誌』693号に書評を書いたので、関心のおありの方はネットで検索していただいたい。本文読めます。間接的にではあるが、私が書評で呈した疑問に、ほぼ網羅的に答えていただき、同意はしないが、納得である。

帰りの電車の中で、しみじみ考えた。若い頃の研究『群衆居場所』と、東京帝大セツルメントを論じた「磯村都市社会学の揺籃」(『日本都市社会学会年報』16,これもネットで読めます)と、社会運動の歴史社会学というものを構想した「社会運動の戦後的位相」(『講座社会学15 社会運動』東大出版会)は、どれも一所懸命に取り組んだものだが、その一所懸命に意固地になってしまい、誰もなかに入らせない「秘密の花園」のようにしてしまっていた。そこには、中川清先生や吉見俊哉先生や磯村英一先生や北川隆吉先生にいただいた種が誰も見ない花を咲かせてい、私は今も毎日水を遣っていた。でも、まあ、誰も見ない花園なんて意味がない。もっとポピュラーで、きれいなガーデンが開園するなら、私の方も特に誰のものでもない公園にしてしまいたい。気になる花があれば持って行ってもらっていいし、土が役に立つなら客土に使ってもらってもいい。そんな気持ちになってきた。

おやおや、それは見田宗介先生がいうところの「自己肥料化願望」ですか。

東京の果てのアパートに帰り着き、風呂に入って思い出した。会の冒頭の自己紹介の時、「長いこと都市社会学をやってきましたが、飽きたのでやめました」と言ってしまった。生涯をM.ウェーバーの研究と教育に捧げられている折原先生の前で。ヤベェ!

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