ささやかながらとてもうれしかったこと

子どもが小さい頃、同業者夫婦で学会出席となると、仕事をずらして片方が子守をしたが、一度だけ両方重なったことがあって、学会が斡旋するベビーシッターを利用した。10年くらい前だったか、仕事が終わってシッタールームに駆けつけると、私たちよりずっと若い、たぶん院生同士だろう夫婦が迎えに来ていた。会釈だけで名前も聞かなかったのだが、ぞの後ずっと気になっていた。あの二人はその後博論を書けただろうか、常勤の仕事につけただろうか。離婚せずに、子どもさんも元気に育っただろうか。

こんなお節介なことを考えたのは、省みれば自分たちの不安の投射に他ならなかった。私の身近な先輩には、先便で言及した矢澤修次郎・澄子先生をはじめ、夫婦学者で仕事も家庭も立派に営まれた方が多い。でも、抵抗はまだまだあって、面と向かって「お前の人生選択は間違っている」と断言する先輩や(俺は正しいとか言ってません!)、「奥さんの就職の世話はしないからね」と断言する指導教官(お願いしますとか言ってません!)にめげながら、何とかやっていた。でも本当は、そうした外圧以上に、自分自身の弱気や臆病や甘えと闘うのが一番大変だったと思う。結局、私たちは仕事も家庭も、「まあ、やってきた」程度のことしかできなかった。とくに私は、子どもたちが巣立ちの一番大事なときに、仕事でしくじってうつ病になり、ちゃんと後援してやれなかった。

昨日ある研究会で、報告者の方が挨拶に見えられ、「昔ベビーシッターでお会いしたことがあるのですが・・・」と言われて、私は胸がいっぱいになった、「ああ、あなただったんですか!」。彼は今一番いい仕事をしている中堅の1人である。パートナーの方も仕事を続けられ、お子さんも元気に大きくなられた様子。研究会自体も非常に勉強になって楽しかったのだが、それを大きく超えて、この一言が私には一番の収穫だった。俺は仕事も家庭もちゃんとやってきた、という満足感ではもちろんない。うまく言えないのだが、こうしたとき、自分が現実の中にしっかり埋め込まれていることを実感し、病気をして以来、ともすると現実から剥離してしまいがちな私の心を現実に引き戻してくれるように思うのだ。

カテゴリー: 私の心情と論理 | コメントする

春雨にしっぽり濡るる鶯の:続々長崎旅行

不真面目な理由は、初恋の人に会いに行く、といった艶種ではもちろんなくて、食いしん坊に決まっている。ウチワエビは偶然のご褒美で、本来の目的は市内丸山町の料亭「花月」で卓袱(しっぽく)料理を食べることだった。といっても、フルコースは老化したお腹も財布もとても持たないので、昼の弁当(花御膳)である。鯛の「御鰭」(おひれ=吸い物)に始まり汁粉で終わる、大満足の食事。とくに卓袱の1品の貝柱の燻製が美味しかった(たぶん本来はアワビ)。

「花月」といえば、下関「春帆楼」と並んで(さらにもう閉じてしまった鹿児島「重富荘」も加えて)日本史の教科書に載ってもいいような幕末維新期の政治・外交の舞台である。予約の電話を入れると、「はじめてでしたら、少し早めにお越しください。お座敷をご案内します」ということで、2階の大広間を見学した。谷間に建つ2階が崖上の庭に面した造りで非常に明るい。なぜか床柱に刀傷が4ヶ所。「坂本龍馬が傷つけたと伝わっております」「ハハァ・・・交渉決裂という感じですか?」「いえいえ、ただお酒に酔ってつけられたとです」子ども「何だ、『銀魂』と変わらんじゃん」。写真は、1階の私たちの座敷で、龍馬の狼藉を再現してみた!。ただし病気をしてからの私は、お酒は飲めません。

ついでに、ここで作られたという端唄「春雨」を歌ってみたかったが、家族にガンムシされて断念。「春雨に、しっぽり濡るる鶯の・・・」。これで長崎旅行はおしまい。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

『沈黙』の崖を訪ねて:続・長崎旅行

先便で取り上げたM.スコセッシ監督の映画『沈黙』のロケ地への違和感を確かめるために、長崎県外海(そとめ)地方を訪ねたのだった。

子どもの頃、NHKテレビシリーズ『未来への遺産』で見たフランスのモンサンミシェル(旧)修道院は遙か世界の果てのようだったが、今ではパリから高速バスで日帰りツアーである。外海の村々も長崎空港からいい道をのんびり走って1時間あまり、こちらも、名古屋からも東京からも日帰り圏である。

写真は大野教会、あとで取り上げる志津教会の下にある巡回教会で、崖に貼り付いた集落の上端にある。世界遺産のサイトに外観のみ見学可とあったのに開いていて、おかしいなと思っていると、別の見学者が現れた。高齢の聖職者である。この人のために開けたのだろう。話を聞くと、沖縄の普天間基地のすぐそばの教会の司祭さんだそう。こちらが名古屋から来ただと言うと、「名古屋には若い頃一緒にローマで学んだ友人がいます」と言われた。この人がヴァチカンで学んだ頃、第2公会議の前、すべてがラテン語の生活、荒廃した戦後のイタリア。そして赴任したのは、復帰前の、ベトナム戦争中の沖縄の、基地の前の教会・・・。つかまえてずっと話を聞いていたい職業根性が頭をもたげたが、グッとこらえて別れを告げた(その後の旅の間に、なぜか2回も出合った)。

次は志津教会、これも集落の上端にある白い聖堂である。こちらはウェブで見学予約。早く着いたので、開けてある堂内を見ていると、「昼飯ば、とりよりました」と教会守の方が現れた。私たちのために教会の扉をすべて開いてくださると、堂内に海風がいっぱいに入ってきて、地中海の教会のような(行ったことないけど)解放感である。ていねいな説明は標準語だが、会話になるとまことに美しい長崎弁で、聞き惚れた。私はもう美しい故郷の言葉を話すことができない。帰り道の坂を下りていく私たちを何時までも見送ってくださって、子どもは感動していた。

その次は、私と同じく、美しい故郷の言葉を持たない大作家、遠藤周作文学館である。集落から離れた崖の突端に建ち、東シナ海が一望できる。代表作の舞台とはいえ、長崎人でない遠藤がここを自分の文学館の地に選んだのはなぜだったのだろう。展示はきわめて真面目なもので、遠藤の生前を知らないだろう、熱心な若い来館者が途絶えない。しかし、私はどうしても「雲谷斎孤狸庵」のイメージが強すぎて、吹き出してしまう。「カバは神経質な動物です」とか「好きなものこそ上手なれ」とか・・・。

実はこの旅行の目的にはアカデミックなものもあって(遊びじゃありません!)、今芽生え期にある研究テーマに遠藤の一連の作品が関わるような気がしたので、そのことを旅をしながら考えたかったのである。しかし結局「雲谷斎孤狸庵」のイメージを消し去ることができなかった。

この旅行、もちろん不真面目な目的もあって、それはまた次回に。

カテゴリー: 未分類, 私の「新しい学問」, 見聞録 | コメントする

ウチワエビの味噌汁:幼い頃の夢が叶う

幼稚園の頃の愛読書というか、とにかく熟読したのが小学館学習カラー百科シリーズ(旧)の『魚貝の図鑑』。今の図鑑類とちがって、監修が東大農学部水産学科教授の末広恭雄先生(応援歌「足音を高めよ」の作曲者、ウィッキーさんの先生)だけに、魚の使い方、食べ方にやたら詳しかった。マル食の可食マークだけでなく、「煮付けにして旨い」などとお勧めの調理法まで記してあった。読んで涎の出る図鑑・・・。商店街のうちの店の隣は魚屋、向かいは乾物屋だったので、興味はいや増しに。そんな私に魚屋の大将は「お母ちゃんに買うてもらい」と怒鳴ったが、母は山の手育ちなので、ゲテモノの魚は買ってくれなかった。それでも夏に、ポンプが入れられたタライで泥を吐いていたコチ(マゴチ)を買ってもらった記憶がある。だから上の子のお食い初めは、自分で下ろしたコチの刺身にした。

さて『魚貝の図鑑』の二大スターは、カニの仲間のアサヒガニとエビの仲間のウチワエビである。どちらも容貌「怪異」なのに「旨い」と書いてある。豊橋在住時代にはどちらもときどき近所のスーパー・サンヨネに出ていたが、いつでも買えると思って買わず、名古屋に越してからは全く目にしなくなった。その片方、ウチワエビをついに食べた!。

たぶん底引き網にかかってくる小さいヤツを二つ割りにしたものなので、身はほとんど味噌汁に溶けてしまっていて、身そのものの味はあまり分からなかったけれど、兄貴分のイエセビより旨いような気がした。汁自体はもちろん旨い。しかし何といっても、このユーモラスな容貌とつぶらな瞳。

食べたのは、新長崎漁港の市場内の「水産食堂」。なぜそんなところに、はまた次回に。

カテゴリー: 見聞録, 食いしんぼう | コメントする

昭和の味の小さな旅:子どもとJR太多線に乗る

21世紀に生まれ、自動車王国愛知で育った子どもは、ディーゼルカーに乗ったことがないという。じゃあ乗りに行こうということで、中央本線多治見駅と高山本線美濃太田駅を結ぶ太多(たいた)線に乗りに行った。

多治見駅に着き、オンボロの両運転台の単車がいるかと思ったら、ピカピカの2両編成、冷暖房完備で油煙臭さもうるさいエンジン音もない。わずかに連結面の排気筒でディーゼルだと分かる。子どもはやや拍子抜け。

発車まで、側線でコンテナ車の留め金を作業員が外しているのを見る。コンテナ車そのものに加え、お爺さんが手作業でやっているのが、子どもには珍しいらしい。アマゾン当日配達の時代に、旅客駅での貨物扱いはもちろん、ハンプとかカーリターダーとか、もう何のことやら・・・。これまた昭和は遠くなりにけり。

太多線は、稲刈りの進む(半分、刈田)東濃の盆地を淡々と走る。ハイライトは可児(かに)から美濃川合にかけて木曽川を渡るところだ。川合の名の通り、鉄橋の直前で木曽川と飛騨川が交わったところが、今渡ダムによって湖になっている。山水画のような風景だ。江戸時代にはたくさんの材木がここを下って名古屋を富ませ、大正時代にはたくさんの東京のハゲタカファンド(福澤とか松永とか)がここの水利権に群がって名古屋を富ませたのだと思うと、より興味深いというもの。

鉄ちゃん的オマケ。美濃川合と終点美濃太田の間に多数の留置線があり、ほとんどが空だが、3両だけグレーのシートで覆われた車両が置かれている。そのうち1両が目にとまった。3車軸の無蓋貨車、第二次世界大戦中に造られた、ものづくりニッポンお得意の出来損ないだ。でも、なぜこんなところにあるのだろう(答えはウェブで検索してね)。

終点美濃太田駅は駅舎は最新式だが配線などは蒸気機関車時代のままで、転車台もある。何と駅弁もあるらしい。

カテゴリー: 見聞録 | コメントする

失われた時を求めて:NHKドラマ『透明なゆりかご』を見る

NHKドラマ10の『透明なゆりかご』を毎回夫婦で見ている。海端の小さな産院で働く女子高校生の看護婦見習いの目から見た、出産と中絶の物語だ。うちはどちらの子どもも地方都市の小さな産院で出産したので、すっかり忘れていた出産前後の苦労が思い出されて、夫婦とも言葉を失って凝視している。

ドラマなので、出産も中絶もやや極端な物語が続くが、実際にも淡々と何ごともない出産や中絶というのは多くないに違いない。うちも2人ともいろいろあったし、そもそも結婚した当座は結婚そのものに精一杯で、2人も子どもが出来、その子たちがやがて独立していく人生など、まったく想像もしなかった。

第6回は、私にはとりわけドラマとしてウェルメイドだった。山中のマヨヒガに住む、老「堕胎医」を演じるイッセー尾形が『沈黙』の井上筑後守よりずっとよかった。また英会話学校の電車広告のそばかすの女の子が個性的な俳優さんでもあることにも感動した。物語も演出も、現実と幻想のあわいをていねいに描き出していて、今のところ一番よかったと思う。

全回を通して私が一番感心しているのは、主人公の高校生の所作である。エンドロールに「発達障害指導」とあるので、専門医のチェックが入っているのだろうが、その細々とした奇異な動作の意味に納得し、また自分にもグラデーションのように重なり合う部分もあると気づかされる。最近、学生から「宿題の意味が分からないので、できない」と訴えられ、ハッと気づいて、できるだけ具体的に指示して、何とかやってもらえたことがあった。診察のスケールで「障害」と判定されるかどうかは別として、私たちは皆何ほどか発達「特性」を持っているのであり、それを永く「社会」なるものの力で抑圧してきたのだが、できればそうした抑圧なくに生きられる〈社会〉の方がいい(そう言っては何だけれど、これからはその方が「生産性」も高いと思う)。ドラマの舞台の産院では、皆主人公の「障害」を知っているが、けっして抑圧しない。その点でも、このドラマは現実と幻想(理想)のあわいをていねいに描き出している。

カテゴリー: 私の心情と論理, 見聞録 | 1件のコメント

ハルハ河からの手紙:NHK「ノモンハン 責任なき戦い」(15日総合)を見る

見ているときには漫然と、ああいつもの「何よりもダメな日本」(菅孝行氏の言葉、「日本、スゴい」の逆)の物語だな、と思っただけだったが、後で同業の先達のFacebookへの書き込みを見ていて、急に、強く思い出されたことがあった。それは、2人の主要な登場人物、自決を強要された井置捜索隊長と自決を強要した辻参謀の両方の息子さんが出演していて、それぞれ父親が家族に宛てた手紙を紹介したシーンである。いわばこの番組は、「硫黄島からの手紙」(C.イーストウッド)ならぬ「ハルハ河からの手紙」だったのだ。2通の手紙は、いずれも自らの職責に一点の曇りもないと断言している。実際には、1通は事件当時事実ではないものとされ、もう1通はその後事実ではないものとされたのだった。

その後考え込んでしまった。息子たちにとって父とは何だったのだろう。社会から非難される一方で、「俺は正しい、俺を信じろ」と言う父に、息子としてどう向き合えるのか。よくも悪くも理念的な存在として縛ってくる、その力にどう抗えるのか。考えると、だんだん息苦しくなってくる。なぜ父たちは、正しくても間違っていても私はあなたの父親だ、と言わないのか、言えないのか。なぜ、とても信じられない正しさを信じることを強要するのか。

先便で触れた、若い大学院生への協力以来、近現代の日本における男性性とか父性といったことについて、少しずつ考えている。途中経過的な結論では(私の業界では「中間考察」と言います)、この「正しくない正しさの強要」は、男性性とか父性といったことの多数的部分でも中心的部分でもないように思う。多数的で中心的なのは、暴力(をちらつかせること)と同性間の共同性(を暴力の保障に使うこと、私の業界では「ホモ・ソーシャル」と言います)だと思われるが、その次にくるのが、この「正しくない正しさの強要」ではないだろうか。それは、組織の重職や社会的地位が高い人ほど乱用することが多いように思われる。

だからこそ私は、そんな正しさに抗するために勉強して、強要されてもけっして同意しないようになりたいし、そんな正しさをけっして振り回さないような人間になりたい。という意味で、この国の男に、父になりたくないと思い続けている。生物学的に父ではあっても。

カテゴリー: 私の心情と論理, 見聞録 | コメントする

「人生3回大学」説批判:一応20年近く社会人を教えてきた経験から

リフレクシブではなくクリティカルに行きましょう。先便のコメントで取り上げた「人生で3回大学に入るべき」説、まともな大人なら皆失笑して済ますところだろうが、いくら怖いとはいえ、同業者の「まじめな」発言なので、「まじめに」批判したい。

一応彼より長く多く社会人に接してきた経験がある。そこからの結論は、大学の勉強に向いている人もいれば向いていない人もいる、ということだ。大学の勉強は人類が創り出したサブカルチャーの1つに過ぎない。大学でいくら学んでも、百メートルを8秒では走れないし、精妙な味の出汁ひとつ引けない。アスリートやシェフに参考文献の並べ方を教えても無意味だ。そんなカビの生えたような教育をするな、と言うのなら、そうでないなら大学である必要はないでしょう、専門学校を高度化すればいいだけでしょう、と反論したい。明らかに向いていない人が受験してくるのは、この説のような変なアオリがあるからだ。

もちろん本人が大学で学びたいと言うのは自由で、また私たち大学が経営のために学生を集めたいと言うのも自由だ。しかしそのどちらからも「べきだ」という論理は出てこない。それは国力とか国富とかいった観点からしか出てこないのであって、要するに、今流行の「生産性」と同じ論理なのだ。そこに一番噛みつかなければならないのは我らが社会学なのに、本当に恥ずかしい。

また、彼がしきりに強調する「世界史的視野」というのが眉唾だ。師匠受け売りの、世界は「ロジスティック曲線」(左端からはじめゆっくり上がり、中程で急上昇、右端でゆるやかに平坦化する、数式化でき、確率論に応用できる図形の1つ、もちろん社会的な意味はない)の右端にあるという、それ自体根拠きわめて薄弱な史観なのだが、それと「人生3回大学」がどうつながるか、私にはさっぱり分からない。だいたい、(正確なデータではなく)妄想的史観から政策を導き出すのは、ファシズムとかコミュニズムといった前世紀の遺物ではないか。

もう1つ最近の話題にからめて言うと、これは「軽学歴」(いい概念とは思えないが、高卒以下の意味で使われる)の人びとへのさらなる排除や差別につながる発想だ。だから「軽学歴」との「分断」に恐怖する「高学歴」社会学者は、まずこの妄説を強く非難しなければならない。もちろん不本意「軽学歴」の人が再挑戦する可能性は最大限確保すべきだ。でも今どきの軽学歴の人の多くは、大学に行けないのではなく、学校というシステムが嫌いなのだ(私も嫌いです)。

昔大学院に進学したとき、軽学歴の年長の親戚から、「そんなに勉強してどうするんだ」と皮肉られたことがあった。私が思わず「好きだから」と答えたら、その親戚は一瞬虚を突かれたような顔をして、「そうか、好きなら仕方がないな」と納得してくれた。好きでやることにパン作りも学問も変わりはない。問題は学問は権力やカネや差別と結びついていて、その上塗りになる危険性が高いことだ。逆にパン作りの方は好きでやっていない、たとえ好きでもひどい労働環境でやっていることが多い。そこに「学問は楽しいし、儲かるよ」などと言うから、アオリだと言うのである。

最後に1点、私の給料のほとんど学生の授業料から出ている。だから究極のところ、「授業改善アンケート」の点がもっと悪くなったらクビかなと思い、ビクビクしながら毎回のアンケート結果を覗いている。一方、彼の給料の大半は税金だ。1人のタックスペイヤーとして、こんな妄説に税金を払いたくない。ちなみに掲載された雑誌は『国立大学』です。

カテゴリー: 私の仕事, 私の心情と論理 | コメントする

極私的ゴダイゴ論序説:「愛の国ガンダーラ」の続き

前便のラブホテルガンダーラの話は、Facebookの方では泊まる話で盛り上がったが、書いた私自身はガンダーラの「歌」の方に考えが広がっていった。

ゴダイゴに限らず、私はずっとポップスに暗いので、気の利いたメディア批評ができるわけではないのだが、最近ちょっとゴダイゴのことが思い出されたのだ。そのきっかけは、先日のオウム幹部たちの一斉処刑のニュースである。彼らが杉並の街頭に現れたとき、私にはゴダイゴのパロディのように見えたからだ。確か「ガンダーラ」を歌うとき、ゴダイゴはオウムと同じような白い、ダラっとした学生服みたいな服を着ていたように思う。そして、「ガンダーラ」も「ホーリー・アンド・ブライト」も、どこかニューエイジの雰囲気を漂わせていたように覚えている。というか、そこが私は大嫌いだったのだ。

もっとも、最初はゴダイゴの音楽が好きだったのだ。小学生の私は、『男たちの旅路』というNHKのドラマ・シリーズにはまっていたのだが、その劇伴が実にシャープで魅せられた。タイトルロールにはミッキー吉野とあり、たしか劇のなかで、「若者に人気のバンド、ゴダイゴ」というチョイ役もやっていたと思う。『男たちの旅路』は、シリーズ中の1本「車輪の一歩」が福祉研究者なら知らぬもののない傑作とされていて、もちろんよく覚えているが(斉藤とも子より斉藤洋一の方を!)、個々の回より、全体を通して俳優たちのエロキューションの個性(水谷豊と桃井かおり、いや、何よりも鶴田浩二!、好きだったなあ)が好きだった。走る若者たちをミッキーの劇伴が追い、鶴田浩二が語りはじめると劇伴はいったん止む。語り終えると、劇伴は静かにその余韻に寄り添う。全体に音のドラマだった。

しかしメジャーデビューし、同じくテレビシリーズ『西遊記』の挿入歌でブレイクしたゴダイゴは、まったくちがったものに見えた。子供心に、それは即物的な音楽ではなく、イデオロギーがまぶされたカルチャーに思えたからだ。今聴いてみると、即物的な音楽としても実によくできていて、逆に当時の私がなぜあんなに嫌ったのか、自分で分からない。とにかくあのカルチャーが嫌だったのだ。

その後杉並の街頭にオウムの教祖が現れたとき、私にはミッキーの醜い戯画のように思われた。そのときゴダイゴは活動を休止していたと思う。ゴダイゴ、誰か深く語ってくれないだろうか。

カテゴリー: 私の心情と論理, 見聞録 | コメントする

愛の国ガンダーラ:東海道新幹線の車窓から

東海道新幹線が静岡を過ぎ、日本坂トンネルに入る直前、山側の車窓に小さなラブホテルが見える。名前は「ガンダーラ」。新幹線でよく往来する人は、きっと一度は目にしたことがあるだろう。とても小さく、場所も辺鄙なところにあるから、すぐに潰れそうなのに、たぶん建ってから30年以上持ちこたえた「老舗」なのではないだろうか。名前は、きっとあのゴダイゴの名曲「ガンダーラ」(1978)から採ったものだろう。愛の国ガンダーラ・・・。

今日も何気なく見ていたら、改装するのかいよいよ潰れたのか、白い幕が掛かっているように見えた。アッと思ったが、もうトンネルのなかで、確かめるのは次の上京時までお預け。

ラブホテルにいろいろ妄想を描く年頃から見続け、いつしかほぼ用がなくなっている自分をさびしく思う今も建っている、ガンダーラ。そこに行けばどんな夢も叶ったのだろうか。私はあのころ、どんな夢を描いていたのだろうか。

カテゴリー: 新企画「新幹線の社会学」, 私の心情と論理, 見聞録 | コメントする