歴史社会学って何?:小熊英二『日本社会のしくみ』を読む

社会人大学院の文献講読で小熊英二『日本社会のしくみ』(2019年,講談社現代新書)を読んだ。大企業や公務員のOB、OGは経験上ピンとくるところがあるようだったが、私には、彼の言う「歴史社会学」を少し理解できたような気がしたことが収穫だった。実はこれまでまったく理解できず、どれを読んでも出来の悪い学生のように途中で居眠りし、放り出していた。だってェ、先生の話長すぎ・・・。

理解できたというのは、たとえていうならこんな感じだ。4,5,6というデータが与えられたとき、私は互いの差を取ったり、素因数分解したりして、データの「構造」を分析しようとする。1つずつ増えていくという構造理解もできれば、5を取り除いて、4と6の公約数は2という構造理解もできる。前者なら6の次は7と予測でき、後者なら8と予測できる。私の思考は後者のタイプなので、「しくみ」とは2(あるいは2の倍数)のことだ。

一方で、4,5,6という数字の並びそのものをできるだけ正確に記述しようという思考法もあるだろう。歴史学というのはそうしたものではないか。もし元のデータに5が見当たらない場合、5を見出すまでしぶとく探し続けるのもその一環だ。逆に、次が7とか8とかいうのは邪道である。

小熊氏の思考法は以上のどちらでもないようだ。4,5,6のうち5を取り除いて4,6をそのまま「しくみ」と言っているように思われるのである。だから、それを「歴史」(5を取り除くな!)+「社会学」(1か2を取り出せ!)という意味が私には理解できなかったのだ。しかし、まあそういう思考法もあるだろう。5(この本の場合、それは家事労働も含む女性の労働である)を取り除いた正当な理由さえ、明記されていれば。なお、彼には次が7とか8とかいう気もないのだろう。4と6を2の倍数としてではなく理解することが重要なのだ。

そう言えば、私たち(小熊氏は私より年長だが、研究歴はやや若い)が学生の頃、文学や芸術の評論に、1や2といった「構造」ではなく4,5,6といった「表層」を見るべきだという流行があったことを思い出した。小津安二郎監督の映画『麦秋』で繰り返し映される「鳥かご」とか。昔習ったことはなかなか忘れられないものである。この考え方だと5を取り除いてはいけないはずだが、実際の多くの評論は、理由を明らかにせずに5を取り除いていた。

この本を読んだからと言って、私は2と取り出そうと苦心する自分の思考法を捨てないだろうし、4,5,6,をできるだけ漏れなく見出そうとする自分の調査法も捨てないだろう。その意味で、小熊氏の学問と私の学問は決して触れあうことはない。

大学院生指導的には、先行研究として、福武直『日本社会の構造』(東京大学出版会)も、富永健一『日本の近代化と社会変動』(講談社学術文庫)も引用、検討していないのは、学術書としてはバツですよ、ということになる。

 

 

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マルクス、長い友人のように

職場の年長の同僚と話していたら、「最近新しいマルクス研究者がいるよ。エコロジーとマルクスが専門で、ドイツで学位を取ったそうだ」との話、「ああ、その人なら少し前の朝日新聞に出てましたね」と答えたが、朝日の紹介はつまらなかったので、それ以上話を広げられなかった。

私たちくらいまでの世代の社会科学者は、専門にかかわらず、マルクスを多少は勉強したはずである。なぜなら、先行研究の多くが、マルクス主義の用語か、マルクス主義の裏返しの近代化論の用語で書かれていたし、それ以上に師匠がマルクス主義に立脚していたから。うちのゼミなど、学部の学生たちですら、「先生の結論はいつも国家独占資本主義だから、うちのゼミの名前は『国独資』ゼミにしよう」などと言っていた。同級生は大手商社に就職したことを別の先生に報告したら、「君は独占資本の手先になるのかね」と言われて悄げていた。もちろん悪いジョークだったのだろうけど。

といっても、読んですぐ分かるはずもなく、また労農派とか、宇野派とか、講座派とか、構改派とか、ちっちゃなちがいがたくさんあって、慣れるのに一苦労。『ドイツ・イデオロギー』を『ド・イ』というか『ド・イデ』というか・・・どっちでもええやん!。

『資本論』の筋書きが漸く頭に染み通ってきたのは就職した30才の頃で、その感激が今でも岩波文庫版の第一巻の表紙見返しに書き込んである。しかし、その頃にはもう「今どきマルクスなんか、ねえ」になっていた。

R.ペック監督の映画『マルクス・エンゲルス』(原題は『マルクスの青春』?)を家族で見たとき以来、なぜか子供は、私を赤い大学の赤い学者と思い込んでいる。そんなことはないんだよ。ただのマネジメント大学のただのネオリベだよ。

でも、せっかく身についたものだから、これからも大切にして、ときどき取り出して、セッセと磨き、たまには巻き簀でも切ってみるか。

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月曜出校の憂鬱

今日は、病気以来はじめての月曜出校。他の授業へのゲスト出演。

私は、今の学校に移ってからずっと社会人大学院を担当してい、土曜はほぼ必須、日曜もひんぱんに出校だったので、月曜は家事分担の面からも休日にしていた。それを破ったのは学部執行部入りした学生担当1年と教務担当2年の計3年間だけ。月曜が執行部会議の日だからだ。病気をしてからは出来るだけ出校日を減らし、土日曜の出校も最小限に絞ってきた。久しぶりに月曜出校して、そうしたことを思い出した。

その3年間は色々あって一所懸命に働いたが、何の得るところもなかった。パンドラの箱ではないけれど、残ったのは、定期的に来るうつ症状と、職場に対する寒々とした絶望感だけだった。

今日のような仕事はいいけれど、そうでなければ退職まで二度と月曜出校はしない。固い決意で多摩を後にした。

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謝らない階級と謝らされる階級:授業風景から

こちらは入門科目「グローバル市民社会論B」、先住民の権利がらみで、北海道大学が不正に入手したアイヌ民族遺骨の返還をめぐって民族団体と争訟になり、和解はしたが、返還の際代表の副学長が一言も謝罪しなかった話をした。するとひとりの学生さんが「それテレビで見ました。教授たちは謝らなかったけれど、職員の人がひとりで謝っていましたよね」と。私「いやいや、謝っていた人も教授だよ」、学生さんはどこか納得しない風だった。

研究室への帰り道、ハッとした。たしかに副学長は恰幅もよく、いい背広を着ている一方、謝っていた教授(たぶんアイヌ研究者)は痩せて、地味な服装だった。私から見ればどう見たって前者が大学のお役人で後者が教授に見えるのだが、学生さんからそう見えないとすれば、そこにはいくつかの深刻な問題が潜んでいるように思えたのである。

まず、リッチで謝らない人が教授で、プアで謝る人が職員という見え方の問題。こうまとめれば学生さんの見方も頷ける。勝手な休講、勝手な講義、勝手な試験、教授たちのお守り、尻ぬぐいをしているのは職員だ。教授たちは素敵な外車でご出勤、職員は学生と一緒の満員のバスで。だから、日頃わがままな教授たちに振り回されている学生さんたちが、謝る人を同情的に職員と見なすのは無理もない。

もう一つは、きっとあの傲慢な副学長も、若い頃はプアで卑屈だったのが、いつの間にやらリッチで傲慢になり、実はもっとリッチで傲慢な(国立大学の)幹部職員たちの親分になってしまったのだということ。私には、副学長の後ろで、絶対謝るなよ、と睨んでいる幹部職員たちの方がよほど怖い。

そして、もしそうならば、私たち教員が、もっと近づきたいと思う学生さんたちからだんだん遠ざかってしまうのも無理はないということ。それはまるで、持てる者なのに謝らずにすむ階級と、持たざる者なのに謝らされる階級の、エンゲルスがみた通りの階級闘争だ。

講義の方は謝罪を要求した川村兼一エカシからその父の川村カ子トエカシの話に持って行くつもりだったのだが、学生さんの「気づき」が思いがけない示唆を与えてくれた。

ひとつ心の救いなのは、昔大学祭の警備を担当したとき、酔っ払った学生に職員と間違えられたことだ。「職員は引っ込め」と言われて憤慨したが、「教員には何を言っても無駄」と心の底で思われるより、ずっとマシだ。

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素人国境学:沖ノ鳥島は日本固有の領土か?

今年から「地域社会学」を看板替えした「グローバル社会のローカリティ」、看板に恥じないよう「境界と辺境をめぐるゲーム」という回を設けて、国境や辺境の話をしている。そのとき資料として『復刻版教科書 帝国地図 大正9年』(帝国書院)を書画カメラで映写しているのだが、ふと「帝国委任統治地」(いわゆる南洋群島、今のミクロネシア)の地図を見ていて、赤い線で囲まれた委任統治領、元々ドイツ領ニューギニアだった海域の北西端に小さな島を見つけた。あれ、これって沖ノ鳥島?同じ地図の「南鳥島」ははっきりと赤い線の外側に書いてあるので歴とした日本領だが、この島は委任統治領だったのか。とすれば、第二次世界大戦後に返還(ドイツではないだろうから、アメリカ経由で将来のミクロネシア連邦に)されるはずのものだったのではないか。

ウィキペディアで「ドイツ領ニューギニア」を検索すると、当時のドイツの地図が掲載されていて、その北西端にはまぎれもなく「パレス・ヴェラ」というスペイン名が書かれている。スペイン船が沖ノ鳥島を見つけた時つけた名前だ。そもそも「ドイツ領ニューギニア」は、米西戦争に負けて貧乏になったスペインが新興国ドイツに売ったものだ。

同じウィキペディアの「沖ノ鳥島」の項には、日本の海防艦満洲がはじめて測量したのは大正11年と書いてある。ますます怪しくなってきた。

もっとも先ほどのドイツの地図の北東端には「ロス・ハルディン礁」なる岩礁も記されているが、これはたぶん探検界では有名な「幻の島」で実在しない。帝国地図にはこの岩礁は記されていない。

尖閣諸島や竹島ほど先鋭化していないが、沖ノ鳥島の帰属はアメリカを含む東アジア諸国の間で一致していない。領土としては日本でいいのだが、排他的経済水域は認めないというのが近隣諸国の言い分だ。もちろん日本政府は石原慎太郎でなくても対抗している。しかし、その根っこは、尖閣や竹島以上に怪しいものなのではないか。

ということで、今どき流行のボーダー・スタディーズ(国境学)の素人版でした。

 

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再び馬場修一先生のこと

病気をして以来学生を教えることにどうしても熱意を感じられない、転職した方がいいかな、といった愚痴を連れ合いにこぼしていたら、私たちの習った先生たちはどうだったのかしら、たとえば馬場修一先生は、という話になった。3年前にこのブログに記したように、当時駒場で社会思想史を教えられていた馬場先生に、私は大学院入試の時に激しく叱られただけ、見田宗介門下の連れ合いは、馬場ゼミでも割と熱心なゼミナリステンだったそうだ。

連れ合いに言わせると、馬場ゼミには親密で安全な空気が濃く漂っていて、それを先生は深く愛されていたらしい。ただそれは、大学紛争期の先生の教師としての不幸な経験からくるものだったのではないか。そう言われて、ハタと膝を打った。もしかすると、私は先生の不幸な経験を思い出させるような学生だったのかもしれない。そうでなくても、先生に不幸な経験をさせた社会の側の人間だと感じとられたのかもしれない。要するに、敵だったのだ。たしかに私は、親密で安全な空間より、社交的でリスクに満ちた空間に憧れる者である。

大学院に入った私は、いつか先生に認められたいと思って群集行動を自分のテーマにしたが、それこそ真逆で、群集行動のような集合的暴力に惹かれたり容認したりする私の心情に、馬場先生は怒りを覚えられていたのかもしれない。省みれば、先生の専門のうちにあるベンヤミンやアドルノの、私の決して好きになれない「フランクフルト学派」は、暴力に曝された精神の生き残りの可能性を問うていたのだった。もし先生がご健在で、私の修論や博論を見てくださったら、ますます絶望され、怒りを深められたにちがいない。

長年の謎が少し解けたような気がした。私は馬場先生に理不尽な暴力を振るわれたような気がしていたのだが、理不尽な暴力を直感していたのは、むしろ馬場先生の方だったのだ。分かったからといって、親密で安全な空間に移動するわけではなく、また学生を教えることに意欲が湧いてくるわけでもないが、馬場先生が続けていらっしゃったように、もう少し壊れものとしての教師の仕事を続けてみようと思った。

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人生最大の失敗とは:カラヴァッジョ「ゴリアテの首を持つダビデ」を見ながら

NHKBS『ガイロク』という番組、「人生最大の失敗」というテーマで街頭インタビューしていた。私の「人生最大の失敗」って何だろう?ふと思い出したのは子どもの頃のこと。仲良しの友だちが習いごとを始めるという。剣道教室に行くという。僕も、と母にねだったら、なぜか妹を連れて、バスに乗ってピアノ教室に行くことになった。小学校に上がったらおもちゃでなく本物のピアノを買ってあげる、に惑わされてそのまま通ったが、あのとき「嫌だ」と言わなかったのが人生最大の失敗かも。なぜなら、その後ずっとその繰り返し・・・。

友だちと一緒に剣道教室に通っていたらよかったのか、分からない。その友だちにとってもうれしかったかどうか分からない。ただ、あそこの分かれ道が、友だちと、というより自分の人生の最初で最大の分かれ道だったような気がしてならない。

カラヴァッジョの傑作、「ゴリアテの首を持つダビデ」は、大人のゴリアテの首も少年ダビデの顔も画家の自画像で、だから、失敗した大人の私を可能性いっぱいだった少年の私が怒りとともに断罪している絵、という解釈がある。しかし老いた私は、若い私のすべてを怒りとともに断罪したい。

 

カラヴァッジョ展

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怪我の功名:「連字符社会学の逆襲」続き

前便で「連字符社会学」がK.マンハイムの言葉だということを知らなかったと恥を記したが、気になって調べてみたら恥の上塗り、昔読んだ「社会学の現代的課題」(1932)の基本概念だった。

昔この論文を読んだのは、私の師匠の師匠の福武直に同名の本があるからで、しかし読んでみたら、あまり関係がないような気がして(正確に言うと、問題意識は同じだが、現代の意味が戦間期のドイツと敗戦直後の日本ではまったく異なる)、そのまま忘れてしまっていた。

しかし、調べてみてよかった。ウェブでヒットしたのは、久冨善之先生の論文「ペダゴジーの社会学と学校知識・学校秩序」(2000)で、「連字符社会学」の話はホンのマクラなのだけれど、さすが久冨先生、マンハイムの用法を正確に理解された上でマクラに使われている。

マンハイムの用法は、教育学や宗教学のようにもともと部分的、専門的知識として完成された知に対して、その社会的根拠を問い直すために教育社会学や宗教社会学があるというもので、単に対象領域を指すのではない、深い意味を含む。久冨先生はそれを踏まえて、教育学への批判的営為として教育社会学を構想されるのである。ここまでくると、来週の私の講義の結論の1つ、政策学批判としての社会学、とほぼ重なる。

一橋大学でながく教育社会学を講じられた久冨先生は、私にとってはイトコ弟子(またはイトコちがい弟子)にあたるわけだが、学会などでお話ししたことは1、2回しかない。こんなところで学恩を受けようとは。これこそは私たちの世界ならではの恵みの1つである。

 

 

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ソ連って何だったんだろう?:ドキュメンタリー「オレグの自立」を見る

金曜夜のETVの「ドキュランド」では見逃したドキュメンタリーをやっているので、ときどき見る。「オレグの自立―発達障害と向きあう青年の物語」は、放映されたとき見ようかと思ったが、なぜか気が乗らなくて、録画もしなかった。今回は偶々テレビをつけていた流れで見始め、最後まで見てしまった。スウェーデンのテレビ局の制作だが、ディレクターはロシア人のようで、舞台もロシアの地方都市だそうである。

正直、いいドキュメンタリーとは言い難い。創られた物語性が強すぎる。ドキュメンタリーと言っても生の事実ということはあり得ないので、大なり小なり創る側の物語が混入し、映像を統制するわけだが、それが強すぎると「いや、それはドラマでしょう。フィクションでしょう」と言いたくなる。それでも最後まで見ていられたのは、主人公の22歳の青年男性オレグさんのたたずまいが魅力的だからだ。大江健三郎の書くイーヨー、とくに大人になったイーヨー(アカリ)にも似ていて、ああ、こういう風に生きたいな、と思った。

しかし何より目を引かれたのは、背景のロシアのある地方都市の風景である。正教会の聖堂のある北欧風の旧市街、それに対抗するかのようなソ連時代の住宅団地、凍った巨大な川(ヴォルガ河?)、美しい並木道を往来する、バラックのような路面電車と新しいベンツ。ソ連後のロシアの生活というものをいろいろ想像させる映像だった。「科学の子、鉄腕アトム」ではないけれど、社会主義は民主的な科学によって差別的な伝統と闘っていたので、正教会には住宅団地で、精神障害には薬物治療で、だったのだろう。でも、それが破産した後は、伝統も社会主義もともに破砕されたガラスのように散らばり、その上を人々は足を傷つけながら歩いて行くしかないのだろう。でも、それはロシアだけのことだろうか。

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連字符社会学の逆襲:最近の講義ノートから

わが学部の社会学科の入門科目に「社会学への招待」というのがあって、毎回1人ずつ専任教員の社会学者が自分の専門や関心を話すことになっている。私は社会政策科学科の所属なので関係ないのだが、まあ、お手伝いで毎年都市社会学や地域社会学の話をしてきた。ただ、都市社会学は田嶋淳子先生や堀川三郎先生、地域社会学は池田寛二先生や樋口明彦先生というようにその道の大家がいらっしゃるので、正直話すことがほとんどない。そこで、今年度はちょっとイカレタ話をしてみることにした。題して「連字符社会学の逆襲」。

ストーリーは単純で、第二次世界大戦後、大学における社会学のポストの増大と、社会問題の多様化に連れて家族社会学、地域社会学といった「〇〇社会学」、連字符(ハイフン)社会学が発展、肥大してきたが、最近あまり振るわないように見える。21世紀になって命脈が尽きたか、それとも何かパッとした未来があるのかといった話。東大出版会が出した3つの講座もの企画、50年代の黄表紙の講座、70年代の緑表紙の講座、90年代の白表紙の講座を見せながら話すつもり。

準備をしていて気づいたことをいくつか。1つは連字符社会学という言葉が誰の創作なのか知らなかったが、ウィキペディアにはマンハイムの言葉だと書いてある。不勉強者の勉強。もう1つは、20世紀の連字符社会学はずっと理論社会学というダースベーダーの圧制の下にあったな、という追憶。あちらは同じ〇〇社会学でも、富永社会学というように王の名の冠である。中筋社会学なんて何百年経っても言われないだろうし、言われたくないです。でも、よい知識って最終的にはアノニマスなものではないか。

さらに1つ、最初このアイデアを思いついたときは発展、肥大の方にウェイトを置いていたので、そしてそれを司ったのがこのブログで前に書いた「福武・日高の正義の帝国」だったので、「(帝国の)逆襲(strike back)」という題にしたのだが、考えていくうちに、やはり身びいきになって、「(連字符社会学の)帰還(return) 」といった中身になってしまった。うちの分野だとオビワン有賀喜左衛門、ヨーダ鈴木栄太郎みたいな。

さて、参考文献はどうしよう。やはり富永健一『社会学講義』(中公新書)かなあ。富永先生も天国で苦笑いされるにちがいない。

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