投稿者「中筋 直哉」のアーカイブ

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

ああかの幸福は遠きにすぎさり:55歳の誕生日を迎えて

表題の章句は、萩原朔太郎の詩「広瀬川」の一節である。連作『郷土望景詩』の1つで、高校の国語の授業でこの詩人を教わってから、よく知られた口語体の『月に吠える』や『青猫』よりも、これ以降の文語体の詩編を愛唱してきた。この詩作 … 続きを読む

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天行健:近衞文麿という人への興味

「天行健、君子以自彊不息」、『易経』の卦の1つだそうである。 野口昭子『回想の野口晴哉 朴葉の下駄』(2006,ちくま文庫)に、夫晴哉に言われて父近衞文麿に「天行健」と書いてもらう話が出てくる。1945年7月敗戦のひと月 … 続きを読む

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彼岸に向かわれる先生へのムマの鼻向け:高校時代の恩師の訃報

久しぶりの長い上京仕事を終えて帰宅すると1枚の葉書が、高校時代の国語の先生の訃報だった。ずっと年賀状のやりとりがあったのでご遺族が知らせてくださったのだ。合掌。 私の母校灘中高では(今はどうか知らないが)中高の6年間主要 … 続きを読む

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様々なる意匠:書架の片隅から昔の本を

新学期が始まって1年間放ったらかしだった研究室の書架を眺めてみる。前から再読したく思っていた本が目にとまる。『小林秀雄初期文芸論集』(1980,岩波文庫)、もちろん中学生が買うわけもなく、大学院生時代に買った1993年の … 続きを読む

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年度替わりに変われない男のぼやき

校外で引き受けている野暮用のまとめ役が近頃アタリが変わったな、と思っていたら年度末で異動だった。徹夜でまとめの仕事をして、居残り組への置き土産にして去って行く。きっと心は晴れ晴れとしているに違いない。 役所や企業は定期的 … 続きを読む

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ちょっと(というにはやや重い)いい話

癌で瀕死の和田夏十が野口晴哉に訊ねた。「先生、整体で元気になるには何年かかりますか」。野口は答えた「20年」。和田はガッカリした「20年も・・・」。 しかし帰り道和田は気づいた。「私あと20年は生きられるんだ」。 依存さ … 続きを読む

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私はなぜ洋菓子を焼くのか:コロナ自粛の終わりに向けて

4月からは対面授業が必須となったので、リモートワークの合間(しながら)にせっせと洋菓子を焼く生活ともお別れだ。 私はなぜ洋菓子を焼くのだろう。家族は絶望した仕事の代償だと思っているようだ。確かに色々な意味で美人投票になっ … 続きを読む

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思いつきと思い出の果てに:佐藤康宏氏の警句に触発されて

『UP』580号の連載「日本美術史不案内」で、美術史家の佐藤康宏氏が「思いつきと思い出しか書けなくなった人間には、研究者を名乗る資格はない」という警句を掲げられていて、膝を打った。まさにブログやSNS上の私そのものである … 続きを読む

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小さなものの諸形態:近所のスーパーのシュークリームに寄せて

どうしても気になってしまう小さな事柄を記してみたい。「小さなものの諸形態」とは市村弘正先生の名著の題で、パクりです。 連れ合いが近所のスーパーでマロンシュークリームを買ってきた。食べてみるとなかのマロンクリームに違和感あ … 続きを読む

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無ではなくなりません、死でなくなります:茶杓「泪」を見る

「泪(なみだ)」を見た。利休居士が最後の茶会に削った茶杓。弟子であり当日の客でもあった古田織部に与えたという「聖遺物」。織部は「鞘」を作って拝んでいたという。 https://bunka.nii.ac.jp/herita … 続きを読む

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