私の「新しい学問」」カテゴリーアーカイブ

わが学部のレガシーを送る:水野節夫先生の「最終講義」

長年社会人大学院で質的分析法の講義を担当してくださった水野節夫先生が今年度いっぱいで定年退職される。そこで自分の学部の演習を休講にして、最終回だけ出席させていただいた。ちなみに副題の「最終講義」は言い過ぎで、学部の講義は … 続きを読む

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社会科学の一平民:社会学的思考の基礎3

敬愛する年長の同僚から、「社会学は問題の発見に優れ、経済学は問題の分析に優れ、法学は問題の解決に優れているのだから、そのシリーズで連携できるといいね」と言われ、なるほど「社会政策科学科」の方針としてはその通りだと思いなが … 続きを読む

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神はわがやぐら:宗教改革500年に寄せて

10月31日はハロウィーン!ではなくて宗教改革記念日で、今年は「ヴィッテンベルクの95箇条の提題」から500年である。 たまたま目にした『カトリック生活』10月号(ドン・ボスコ社)の特集が「ルターとカトリック教会」なので … 続きを読む

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地域社会学が役に立つとき:最高裁判事「審査公報」を見ながら

「地域社会学やめます」と何度もこのブログで言ってきたが、それでも「地域社会学は役に立つな」と思うときもあって、それは何より選挙の時だ。小選挙区制になり区割りが変わっても選挙結果は地域社会構造を何ほどか反映しているので、ほ … 続きを読む

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そんな昔のことを勉強してどうするの?:社会学的方法の基礎、その2

わがゼミ生が、別の先生に「ゼミで『菊と刀』を読んでいます」と言ったら、「そんな昔のことを勉強してどうするのかねえ」と言われた、と言っていた。私の常識では、ハラスメントでない限り、同僚が教えていることについて学生にとやかく … 続きを読む

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社会を田の字に分割する:社会学的方法の基礎

毎年M.ウェーバーの社会的行為の4類型を教えるときに、A:伝統(前近代社会)とB:近代社会、ア:日常時とイ:非日常時の2×2の分類表を作って、Aア=伝統的行為、Aイ=感情的行為、Bア=目的合理的行為、Bイ=価値合理的行為 … 続きを読む

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自分で自分をリストラする:地域社会学を教えなくなります

秋学期の学部の講義「地域社会学」の第1回の授業が終わった。この数年、五十嵐泰正先生と編んだ『よくわかる都市社会学』(2013,ミネルヴァ書房)を使って都市社会学の話をしている。ガイダンスが予定より早く終わったので、再来年 … 続きを読む

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複製芸術のアウラ:1枚の復刻版CDを考証する

大学2年の時、W.ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」(1936年)を読むゼミが開かれたので、クラスメートの数土直紀君(現学習院大学教授)と一緒に参加した。数土君は大学入学以来ずっと同じクラス、学科、研究科で学んだ、長い学 … 続きを読む

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「小さい」社会学について考える:「大きい」社会学と「小さい」社会学、その2

前便に続いて「小さい」社会学について考えてみたい。「大きい」「小さい」などと感覚的な言葉で言い換える必要などなく、マクロ社会学、ミクロ社会学でいいのではないか、という異論が考えられる。が、さて、この言い方最近あまり聞かな … 続きを読む

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「大きい」社会学と「小さい」社会学:歴史社会学批判その3

昔話の「雀のお宿」は、よいお爺さんは舌切り雀から「小さい」つづらをもらい、中身の宝で豊かになるが、悪いお婆さんは「大きい」つづらをむりやり奪い取ったものの、中身はお化けでビックリという話である。さて、先便で歴史社会学を連 … 続きを読む

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