尊敬する先輩たち」カテゴリーアーカイブ

それは社会学じゃないよ3:富永健一先生追悼

一昨日の朝刊で、私が学部で社会学を習った先生の1人、富永健一先生の訃報に接した。1年前に書いた富永先生についてのこのブログの記事を再掲し、追悼したい。合掌。 有斐閣の『書斎の窓』最新号の自著紹介欄で、大阪大学の友枝敏雄先 … 続きを読む

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思い出の歴史家:直木孝次郎氏の訃報に接して

日曜の朝刊に大阪市立大学名誉教授の直木孝次郎氏の訃報が載っていた。享年百。古代史が専門でも趣味でもない私が彼の名を知っているのは、ひとえに小学生の頃欠かさず見ていたNHKのテレビ番組『歴史への招待』による。他にもたくさん … 続きを読む

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それは君の問題だろう:中西洋先生に教わったこと

今の職場に移った頃、隣の研究室は社会政策学の中西洋先生だった。中西先生は東大を退官された後、新潟大学を経てうちに来られたのだと思う。定年が早かった頃の大先生の典型的なキャリアパスだった。中西先生は想像通りの大先生で、修士 … 続きを読む

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連載「『美しい国』の構造分析」終わる:補足したいことなど

縁あって、「幻冬舎ルネッサンスアカデミー」というウェブサイトに連載していた、「『美しい国』の構造分析―日本農村社会学再考」全6回が6月15日で完結した。はじめての連載だったので、面白く盛り上げたり、緩急を付けたりはできな … 続きを読む

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高原の玉ねぎ畑で1:見田宗介『現代社会はどこに向かうか』を読む

見田宗介先生の新著『現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)は、私には先生の個性が凝縮された、しかしまったく「破局的 doomed 」でない「晩年のスタイル late style」の作品と思わ … 続きを読む

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君は東大生らしくないな:下田直春先生の思い出

学部学生の頃、親友に勧められて読んだ本を、市の図書館で借りて30年ぶりに読み直してみた。橋本治『蓮と刀』という本である。読んでいると、学部学生の頃のことが思い出されてきた。 学部3年生、社会学科に進学したての私が受講した … 続きを読む

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戦後日本の社会学の再度の終わり:日高六郎の訃報に接して

先便に書いたとおり、私が日高六郎を見たのはただ一回、昭和が終わった1989年の初夏、青山斎場での福武直の葬儀の場だった。一人さびしく去って行く後ろ姿に、私は感動した。あの時一度戦後日本の社会学は終わったのだろう。それから … 続きを読む

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福武社会学の真の継承者:瀬地山角編『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』を読む

山梨大学教育学部に専任講師として赴任した夏、私は何人かの先輩から「君こそが福武社会学の継承者だ」と煽てられて、塩入力先生が遺された職場の福武直著作集を全部家に持ち帰り、朝から晩まで読んでいた(福武の次男と末っ子である私の … 続きを読む

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異質な世界のうちに共通性を見出す:渡戸一郎先生の最終講義

先週土曜の午後は、明星大学の渡戸一郎先生の最終講義に出席した。将来自分の最終講義をやる気はなく、他人のも、まあどうでもいいかなと一般的には思うけれど、今回は特別興味深く、勉強になるものだった。 奥田道大先生の門下生は、皆 … 続きを読む

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仲良き事は美しき哉:武者小路実篤と社会学

前から気になっていることがある。それは武者小路実篤が東大社会学科の先輩だということだ。ただし1906年入学(学習院高等科からの)の実篤は中退で、なぜ入学し、何を学びたかったのかはまったく分からない。研究上の必要があって『 … 続きを読む

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