月別アーカイブ: 2016年9月

板書というメディアの黄昏

近頃、学生から「板書が読みづらい」というクレームをよくつけられる。この間も「ひらがなが漢字より小さくて読みづらい」と言われて驚いた。私の常識では、ひらがなは漢字より小さく書くべきで、多少読みづらくても、漢字の並びから容易 … 続きを読む

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法政大学社会学部のレガシー(制度遺産)とは何だろう。

先の便で、わが職場のプレゼンスを高める云々という話を書いたが、当時も、二度も執行部を経験した後の今も、わが職場の「ウリ」というか「ブランド力」といったものが何なのか、正直よく分からない。ウリやブランド力が不明なまま、プレ … 続きを読む

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歪んだ利他主義の精神分析:職場の会議を終えて

今日の職場の会議で、社会調査士という資格を出す制度を続けるかどうかが議論になった。この資格、できて10年以上になるが社会学者の世界以外ではほとんど知られていない。最初に知られていなかったのは仕方がないが、その後だんだん浸 … 続きを読む

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バカ田大学化断固反対:朝日新聞の書評欄から

昨日の朝日朝刊の書評欄で、『バカ田大学講義録』という新刊書の書評を武田徹という評論家が書いていて、そこに「創造に繋がる愚かさをいかに育てるか、つまり大学は今やバカ田大学を目指すべきなのだ。そんなアイロニーの含意を理解でき … 続きを読む

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「危険社会」時代の社会科学:舩橋晴俊先生の思い出

社会人大学院のゼミで、古典としてU.ベックの『危険社会』を読んでいる。あらためて読み直してみると、この本の魅力は、家族や労働や教育といった社会学の「定食的」メニューにあるのではなく、「危険社会」時代に対応する知識社会学や … 続きを読む

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女嫌いの精神分析:墓場まで持っていかない話5

朝何気なくNHK総合のニュースを見ていたら、自閉症でピアノの上手な息子を苦労して育てた母親のリポートを放映していた。集中して見ていたわけではないが、だんだん不愉快になってきて、その不愉快さが不思議なくらい大きかった。なぜ … 続きを読む

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学部と連隊:ちょっとした調べものから不謹慎な妄想へ

仕事中に、ちょっと必要があって旧帝国陸軍の連隊について調べていたら、連隊所属の将校が約70名という数字を見つけて、おやおやと思った。ちょうどわが学部の教員数と同じ位だ。一方の兵隊と学生を比べるのは不謹慎だが、こちらは兵隊 … 続きを読む

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身体感覚の歴史社会学:研究の出発点として

前便で「松下圭一の身体感覚」と書いたが、おそらく私のように「ない」あるいは「鈍い」のも含めて、どの学者、作家、さらには普通の市民一人ひとりにも身体感覚はあり、かつそれは集合的に形成され、相互的に表現されるのではないか。と … 続きを読む

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電話は受けるが会いはしない:岡田一郎『革新自治体』を読む

岡田一郎『革新自治体』(2016,中公新書)を読む。一番の驚きは「あとがき」で、著者の父親は機動隊分隊長として、著者が4歳のときに成田闘争の過激派に殺されたという。浅間山荘事件はまだ時折回想されるが、成田闘争はほとんど回 … 続きを読む

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団子汁は普通小麦粉でつくる:『近藤康男 三世紀を生きて』を読む

『近藤康男 三世紀を生きて』(2001)をふと読み始める。ドイツの化学肥料の導入のことや満州移民のことなど、戦前期だけでもていねいに読まなければならないところがたくさんあるが、何といっても「三世紀を生きて」というところが … 続きを読む

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