月別アーカイブ: 2021年3月

年度替わりに変われない男のぼやき

校外で引き受けている野暮用のまとめ役が近頃アタリが変わったな、と思っていたら年度末で異動だった。徹夜でまとめの仕事をして、居残り組への置き土産にして去って行く。きっと心は晴れ晴れとしているに違いない。 役所や企業は定期的 … 続きを読む

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ちょっと(というにはやや重い)いい話

癌で瀕死の和田夏十が野口晴哉に訊ねた。「先生、整体で元気になるには何年かかりますか」。野口は答えた「20年」。和田はガッカリした「20年も・・・」。 しかし帰り道和田は気づいた。「私あと20年は生きられるんだ」。 依存さ … 続きを読む

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私はなぜ洋菓子を焼くのか:コロナ自粛の終わりに向けて

4月からは対面授業が必須となったので、リモートワークの合間(しながら)にせっせと洋菓子を焼く生活ともお別れだ。 私はなぜ洋菓子を焼くのだろう。家族は絶望した仕事の代償だと思っているようだ。確かに色々な意味で美人投票になっ … 続きを読む

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思いつきと思い出の果てに:佐藤康宏氏の警句に触発されて

『UP』580号の連載「日本美術史不案内」で、美術史家の佐藤康宏氏が「思いつきと思い出しか書けなくなった人間には、研究者を名乗る資格はない」という警句を掲げられていて、膝を打った。まさにブログやSNS上の私そのものである … 続きを読む

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小さなものの諸形態:近所のスーパーのシュークリームに寄せて

どうしても気になってしまう小さな事柄を記してみたい。「小さなものの諸形態」とは市村弘正先生の名著の題で、パクりです。 連れ合いが近所のスーパーでマロンシュークリームを買ってきた。食べてみるとなかのマロンクリームに違和感あ … 続きを読む

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無ではなくなりません、死でなくなります:茶杓「泪」を見る

「泪(なみだ)」を見た。利休居士が最後の茶会に削った茶杓。弟子であり当日の客でもあった古田織部に与えたという「聖遺物」。織部は「鞘」を作って拝んでいたという。 https://bunka.nii.ac.jp/herita … 続きを読む

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ずいぶん遅れた卒業論文:「福武直の選択」公開されました

先日東京大学東洋文化研究所の研究プロジェクト「東京学派」で口頭報告しました「福武直の選択:東京学派、社会学の場合」がブックレットとして公開されました。 http://gjs.ioc.u-tokyo.ac.jp/ja/es … 続きを読む

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私の「二次的定住」

友人が1960年代の大阪の「スラム」を記録した映画をFBにアップしているのを見て、ふと思い出されたことがある。 私の生まれ育った町は神戸の造船所や紡績工場の間を埋める「細民街」だが、祖母は商店街のなかに一応店を張り、戸建 … 続きを読む

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