新幹線で駅弁を使うこと:新幹線の社会学5

夕方以降の下りの新幹線に乗ると、東京なり品川なり新横浜なりで乗車した客が発車後すぐにビールや発泡酒のプルトップを開け(プシュー)、弁当を開く音(ピッ、ガサッ)があちこちで聞こえる。私はいつからか新幹線車中で食事しなくなったので(上りで上京後仕事が立て込んでいるときだけは手弁当で)、そうした音をただぼんやりと聞いている。

聞きながら、この人たちは家に帰ってから夕食を食べないのだろうなと思う。男も女も皆自分では作らないし、作って待つ連れ合いもいないのだろう。1937年生まれの私の父は大企業の営業マンで、午前様のとき以外は(けっこう多かったが)、遅くなっても、専業主婦の母が夕食を用意して待っていた。たぶん出かける前に「ご飯と味噌汁だけ」と言い置いていたように覚えている。それがあるべき姿だと言うのではない。そうでないことが当たり前になれば、新幹線の駅弁もけっこう売れるだろうなと思っただけである。

子どもの頃、夏休みに東京の叔母の家に遊びに行くときの楽しみは、新幹線の「うなぎ弁当」だった。名古屋駅に着くと、同行の祖父が「それ、うなぎ弁当を積み込むぞ」と告げる。そして車販がくるのをわくわくしながら待ち続けるのだ。新幹線自体がハレの乗り物で、本数も多くなく、それほど混んでもいなかった。さらに「うなぎ弁当」よりもハレなのは食堂車。中学入学祝いの旅行の帰りの食堂車で食べたカレーライスの味は忘れられない。

バブルの学生時代、新幹線で帰省するときも弁当を買うことはなかった。帰れば家の飯があり、戻れば東京の倹約生活があるのに、なんで弁当を食べなければならないのか。それに当時の弁当は値段が高くて不味かった。それなら二階建ての食堂車の方がまだましだった。たぶん売れていなかったのだろう。だんだん弁当の内容は悪くなるのに、値段は安くならなかった。

それが21世紀になった頃、のぞみが走り出し、本数が増えた頃から、弁当の内容がよくなり、種類も増えた。周りで食べている人も、とくに夕方以降増えてきたのである。これは、新幹線に乗ることの意味がかわり、一方で帰りを待つ家族が変わったことの表れなのだろう。柳田国男が『食物と心臓』で書いたような、家で食事をすることの宗教的意味を、日本人は失ってしまったのだ。

最近さらなる変化が見られる。以前は食べ終えると、ビールの酔いも手伝って眠りに落ちる人が多かったが、最近はさらに2本、3本と飲む人や(他人事ながら、大丈夫か?と心配してしまう)、いきなりエクセルで仕事を再開する人や、ゲームや動画に没頭する人が多くなった。これも柳田国男が『豆の葉と太陽』で書いたような、ハレとしての旅の意味を、日本人が失ってしまったことの表れなのだろう。

さらに私は、早晩私と同じように、新幹線で弁当を使う人は減っていくだろうと予測している。弁当という食事のスタイル自体が、現代の日本人の生活に合わなくなっていくだろうから。駅弁は、「ななつぼし」のような年寄りの道楽の1つになってしまうに違いない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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