「小さい」社会学について考える:「大きい」社会学と「小さい」社会学、その2

前便に続いて「小さい」社会学について考えてみたい。「大きい」「小さい」などと感覚的な言葉で言い換える必要などなく、マクロ社会学、ミクロ社会学でいいのではないか、という異論が考えられる。が、さて、この言い方最近あまり聞かなくなったような。私が学生だった四半世紀前にはミクロ・マクロ・リンクといった課題設定が盛んだった。今省みると、これは経済学のミクロ、マクロ二分法の流用に過ぎず、十分練られた概念設定ではなかったように思われる。結果、廃れてしまったのではないか。

ただ、かつてミクロ社会学と呼ばれた研究群、とりわけA.シュッツに始まるとされる現象学的社会学については、もう一回勉強し直したい気がする。それもシュッツから後ではなくて、シュッツから前を。1899年生まれのシュッツは1859年生まれのE.フッサールからなぜ、何を学んだのだろう。同じフッサールから学んだ、1906年生まれのE.レヴィナスとはなぜ、あんなにちがうのだろう。レヴィナスは、フッサールと同い年のH.ベルクソンに関心はなかったのだろうか。ベルクソンは1つ年上で、同じノルマリアンのデュルケムの『宗教生活の原初形態』のどこが気に入らなくて、『宗教と道徳の二源泉』を書いたのだろう。コレージュ教授のベルクソンは、ソルボンヌ教授のデュルケムのことをどう思っていたのだろう。あれ、だんだん「大きい」「小さい」の話から逸れてしまった。

話を戻して、私が「小さい」という言葉で探究したいのは、対象とする範囲が相対的に小さいことと、それを等身大の目線で捉え、等身大の理解力で分析するということである。それはシュッツがウェーバーの方法としての理解社会学から、理論として引き出したアイデアに近いのではないかと思っている。歴史家C.ギンスブルクの「ミクロ・ヒストリア」と通じるかもしれないが、実はギンスブルクより半世紀も前にわが服部之総は「微視の史学」という小論を世に送っていて、その意味はここでの私の主張の源の1つである。服部は「微視の」という言葉を、彼が「石女(うまずめ:昔の差別表現)」と見限った社会学から借用したのだと思う。

前便で取り上げた、湯沢雍彦は「大きい」社会学の上から目線なところ、説教臭いところを嫌って「小さい」オルタナティヴを掲げているが、この「小ささ」も1つの主張であることに変わりはない。当然「離見の見」といった、(1908年生まれの)レヴィ=ストロース的批判の余地がある。ただし私は「離見の見」も「小ささ」と両立し得るのではないかと思っていて、そこが「小さい」社会学の核心ではないかと考えているのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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