「建武の新政」と「建武の中興」はどこがちがうか:歴史社会学批判、その4

中学高校時代の日本史の先生は、もう中1のときから(よく知られている通り、わが母校では中高6年間担任は持ち上がり)お爺ちゃんな感じで、授業も退屈だったから、よくちょっかいを出して、廊下やら教卓やら(黒板に向かって)に立たされた(今どき、立たせる先生なんていないだろう)。

あるとき、先生は私に「『建武の新政』と『建武の中興』はどこがちがうか、言うてみい」と尋ねられた。私は「そんなん、同じやろ」と思って「分かりません」と答えた。すると先生は、「『中興』というと『新政』に比べて新鮮味がない」と真顔で仰った。子供心にもあまり出来のいい冗談と思えなかったので、私はあからさまに「えー、つまらん」という顔をしたと思う。しかし、今日までこのことを忘れたことはない。なぜだろう。

今になって、先生は歴史は事実の問題ではなく史観の問題なのだ、それも同時代から論争は始まり、何度もひっくり返される、それはつねに政治なのだ、ということを教えてくださったのだと思う。さらに、だからどうせ政治なのだと割り切るのではなく、政治の向こうの事実にたどり着くために、不断の勉強が必要なのだと教えてくださったのだと思う。

今朝の朝日新聞朝刊を見ると、最近母校の歴史教育に政治的外圧がかかっていることが記事になっている。前便「歴史社会学批判、その3」でも少し触れたように、少し前から伝え聞いていたことではあったが、あらためて今の母校の先生方のご苦労に同情を禁じ得ない。歴史だけではなく、あらゆる勉強は事実から遠ざかるためにではなく、事実に到達するためにあるはずだ。その事実が自分の卑劣さに立ち向かうものであるなら、なおさらだ。理想はどうであれ、多くの政治は卑劣さの上塗りとつるみ合いなので、勉強はつねに政治から疎まれる。だからこそ、政治より先に、私たちは勉強の勘どころを身につけておく必要がある。

在学中も全くよい生徒ではなかったし、今もよい卒業生ではない。もし男の子がいて勉強ができても、たぶん進学させようとは思わなかっただろう。でも、今回の事件を通して、私は母校を誇らしく思った。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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