君子の交わりは・・・:旧友と京都で再会する

中学高校時代の友人とおそらく20年ぶりくらいで再会した。20年というのは、前に会ったのはまだできたばかりの京都駅ビルで、その駅ビルが20周年というのだから。

今の彼は龍谷大学で真宗学の先生をしているが、中高時代は硬式庭球部の仲間、大学は一緒に東大文学部に進学し、彼は美術史学科、私は社会学科を卒業した。それから30年、互いに父となってその子どもたちは自立しつつあり、自らの父は喪って、仕事も円熟期というよりは着陸態勢といった感じになりつつある。そのうち会おうと言ってもなかなか機会がないので、思い切ってこちらから京都まで押しかけた。駅前の豆腐料理店で昼飯を食べ、その後カフェでコーヒーと、計3時間ほど、積もる話に花が咲いた。

といっても、一通りこの間の身の上話を披露し合った後は、もっぱら勉強の話なのである。君子の交わりは、私たちの場合、勉強なのである。若い頃には、偉い坊さんになったら祇園で「顔で」豪遊させてくれ、などと冗談を言っていたものだが・・・、やはり双方そういう柄じゃない。とくに彼の最近の研究の話が興味深く、もう少し帰りの新幹線を遅くしておくべきだったと思うくらいだった。

私の理解する限りでのその話の要点は、日本の仏教界にも、江戸時代には、カトリックの「普遍論争」に匹敵するような教派を超えた教義上の論争があったが、それは明治以降の仏教界の近代化(単線的歴史観の押しつけ)のなかで見失われていた、というものである。社会学者としては、そうした論争の場すなわち公共圏の成立と構造がより面白い。丸山眞男的思想史では決して捉えられない広がりと深みがそこにはある。山深い寺まで議論をふっかけに行くお坊さんたち、街場の本屋で新刊の論争アンチョコを買い求める商人たち、付け焼き刃で勉強して政治的に介入してくる寺社奉行(たぶん小身の秀才の婿養子)。しかし私にとって一番面白かったのは、そうした論争の基底を作ったのは、誰よりも思弁的で論争的だった教祖親鸞であることだった。この個性的なカリスマについて、もう少し深く勉強したい。

京都駅に戻ると、前から一度食べたいと思っていた、「笹屋伊織」の『どら焼き』を売っていたので、迷わず買った。『どら焼き』にしても、「亀屋陸奥」の『松風』(小学校時代の塾の先生=作家の故鷹羽十九哉が京都みやげはこれ、と言っていた)、「いづう」の鯖寿司にしても、今では何でも新幹線の土産物屋で買える。たいへんいいことだと思う。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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