きっとこの日が来ると思っていた:杉原邦生演出『夏の夜の夢』を見る

名古屋から家族で上京し、池袋あうるすぽっとで杉原邦生演出のシェイクスピア『夏の夜の夢』を観劇した。いつか、きっとこの日が来ると思っていた。

新婚の頃は仕事がややこしい割に実入りは少なく、連れ合いが就職したがともに薄給、加えて自腹で行き来する「愛は遠く離れて」(ベック夫妻)生活がはじまり、子どもが生まれたので制度の上限まで非常勤を掛け持ち、やっと給料のいい大手私大に転職できたが遠距離通勤は変わらず、その上社会人相手なので土日出勤が多くて・・・。だんだん観劇とか音楽鑑賞とか絶対無理と思うようになっていった。自宅でケーキを焼いたり、地元の山に栗拾いに行ったり、できる楽しみを見つけてきたが、観劇や音楽鑑賞を、今度は家族で楽しめる日が来ることをずっと夢見ていた。

この舞台で恋人たちを隔てる「壁」(本来の役名はスナウト)を熱演している海老根理君は、今の職場に移って最初のゼミ生である。今も昔も私のゼミは不人気で、テレビ論とか広告論とか、他の人気ゼミに入れなかった学生が流れてくる。海老根君もその一人だったろう。そんな彼らに、私はベラーの『心の習慣』とかハバーマスの『公共性の構造転換』といった、辛気くさい読書を押しつけていた。卒業するとき、海老根君は役者になるために、老舗劇団の研修生を受験すると言ってきた。老舗なら試験勉強の役に立つかもと、私はスタニスラフスキイの『俳優修業』を貸した。役には立たなかっただろうが、彼はみごとに合格し、『俳優修業』を返しに来た。私は、舞台に立ったらぜひ声をかけてくれ、見に行くから、と言って送り出した。社会学部だけれど、私が教師として彼にしたことは、『俳優修業』を貸したことだけだ。

病気がよくなってから、Facebookで海老根君が「ガレキの太鼓」という劇団で活躍をしていることを知り、友だち申請をしてみた。海老根君は覚えていてくれ、今回の舞台を知らせてくれたのである。2時間半、シェイクスピアをよく練り直した脚本・演出と、シェイクスピアの空間をそれぞれの身体で演じきる俳優たちを家族皆で楽しんだ。終演後ロビーに顔を見せてくれた海老根君に、私は「きっとこの日が来ると思っていた」と言った。私はほんとうに幸せな教師である。

「きっと来るのこの日」なのは、私たちの家族にとってもそうだ。子どもたちが大きくなり、大人4人でこうして観劇できる。秋には演奏会にも行こう。でも、親たちがかつてそうであったように、子どもたちはすぐに巣立ってしまう。シェイクスピア流に言うなら、「終わりは始まり、始まりは終わり」。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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