市井の職人に出合うよろこび:「中央フラワー」の花職人

新婚の頃から指導していただいている、野口整体の指導者が国立にいらっしゃって、子どもたちと一緒に毎年2回、親類を訪ねるように訪ねるのがわが家の慣例だ。子どもが小さい頃は泊まりがけで黄色いシエンタを走らせたが、子どもたちが大きくなったこの数年は新幹線で日帰りだ。行きがけには必ず「中央フラワー国立南口ガーデン店」に寄って、花を買う。それは、花束を作ってくれる職人の手さばきに惚れてのことなのだ。

花の種類も2つくらい、2千円くらいの小さな花束を、実にていねいに、手際よくまとめてくれる。その手さばきの落ち着いた感じが非常に好ましい。人あたりも濃くなく薄くなく、できあがると年2回しか来ない客に(よほど変わった客なのか?・・・笑)、外交辞令でなく「いつもありがとうございます」と言ってくれる。ちゃんと客をつかんでいる証拠だ。また花束ができる間、それぞれに育て方、楽しみ方が添えられた、店内の変わった花や木を眺めるのも楽しい。

最近早稲田界隈の小さなフランス料理屋でランチを食べたら、とても美味しくて、たぶん「旨かった」という顔をしていたのだろう。レジの向こうでシェフが「どうだ、旨かっただろう」という顔で笑っていた。こういう職人も好きだが(自分自身はこのタイプ)、「中央フラワー」の花職人のような、さりげない感じ、いやもっとはっきり言うと「けっして誇らない感じ」はいっそう好ましい(わが師匠のタイプ)。いったい花屋にはこのタイプの職人が多いので、花を買うのはいつも楽しい。パン屋やクリーニング屋にもこのタイプの職人は少なくない。そしてそうした職人たちの巨大な集積体が都市東京なのだ。

いい魚が入ると、それを飽かず見つめる幼稚園帰りの私(サカナくん?)に「お母ちゃんにいうて、買うてもらい」と笑顔で怒鳴った隣の魚屋の大将。商店街のなかで育った私は、品物以上にその品物を作り、売る人びとの心と体が気になって仕方がない。よい職人に出合うと、心の栄養をもらったような気がするのだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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