複製芸術のアウラ:1枚の復刻版CDを考証する

大学2年の時、W.ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」(1936年)を読むゼミが開かれたので、クラスメートの数土直紀君(現学習院大学教授)と一緒に参加した。数土君は大学入学以来ずっと同じクラス、学科、研究科で学んだ、長い学友である。そのゼミは、たぶん表象文化という看板の大学院が新設されるので、その学生募集のためのものだったのだろう。

これまたなぜそうなったか、ここでも最初の報告を割り当てられた。あまりパッとしなかったようで、教官の反応は冷淡なものだった。数土君のときは激賞され、ちょっとやっかんだことを覚えている。パッとしなかったのはピンとこなかったからで、複製以外の芸術を知らない人間(ベンヤミンの時代だって多かっただろうに)にこんなこと言われても・・・という不快感からだった。それ以来ベンヤミンは苦手、で通している。都市社会学者としては失格かもしれない。

しかし当時の芸術は、ベンヤミンが断じたよりずっと複雑で微妙なものだったのではないか。そう思ったのは、今日1枚の復刻版CDを聴いていたときである。そのCDにはベートーベンのピアノ協奏曲第3番と第5番が収録されていて、どちらもピアノは私の一番好きなピアニストM.ロン、オーケストラはパリ音楽院オーケストラ、指揮は3番がF.ワインガルトナー、5番がC.ミュンシュだ。聴いていてハッとしたのは録音日で、3番は1939年7月、5番が1944年7月だという。後で調べると、3番は独仏休戦協定の1ヶ月後、5番はパリ解放の1ヶ月前、ナチ支配下のパリの始まりと終わりにあたる。ロンはいつもの硬いタッチで弾ききっているが、合わせるワインガルトナーもミュンシュも複雑な気持ちだったに違いない。なぜならワインガルトナーはユダヤ人でアンシュルスのウィーンから逃れてきたばかり、ミュンシュはアルザス出身の元ドイツ人、でも反ナチだったから。しかし、どちらの演奏にもそうした指揮者の心の揺れを聞き取ることは、少なくとも私にはできなかった。

これがナチのチェコ侵攻前、1937年にプラハで録音されたP.カザルスの弾くドボルザークのチェロ協奏曲となると、G.セルが指揮するチェコ・フィルははひたすら懐古的なすすり泣きに聞こえる一方で、カザルスは彼らを励ますように、力強く未来の希望を語っているように聞こえるのである。

だからむしろ、2つのピアノ協奏曲の「複製芸術」は、極限的な社会状況のなかでさえ、芸術活動が、それに支配されることなく自らの価値を輝かせる瞬間を、後世に複製して伝えているといえるのではないか。

「複製技術時代の芸術」は、技術と社会の変化に囚われすぎていて、人間が芸術を立ち上げる場のアウラ(その場限りの極限的輝き)を捉え損なっている。複製技術はアウラを奪うのではなく、アウラを保存し、時代を超えて交響させるのである。その可能性こそは、結局はベンヤミンの命を奪ったような暴力から私たちを救うに違いない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。

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