40年目の三笠艦:学生と記念艦三笠を訪れる

ゼミ合宿のかわりの日帰り旅行で、学生たちと横須賀の「記念艦三笠」を訪れた。ゼミではR.ベネディクト『菊と刀』を読んでいるので、近代日本の1つの象徴を見るという意味での見学だ。私自身にとっては40年目、3度目の訪問である。

最初は小学4年生の夏、東京の親戚と三浦海岸に海水浴に行く途中立ち寄った。その前の前の年に「宇宙戦艦ヤマト」が放映されていて、父は裏の「アルプスの少女ハイジ」がお気に入りだったのでほとんど見られなかったのが、かえって火をつけてしまい、終映後セッセとプラモデルを集め(安い駆逐艦ばかり・・・)、戦記物を読みあさるようになった。日本海海戦については『坂の上の雲』ではなく、吉村昭『海の史劇』(『陸奥爆沈』から続いて)とN.プリボイ『バルチック艦隊の壊滅』(原題は『ツシマ』)がお気に入りで、とくに後者は何度も読み返した。だから最初の訪問は夢のような気持ちで、帰ってから手づくりの三笠艦を夏休みの自由工作にした。もちろん展示されたそれは、他の子どもらしい作品から浮きまくっていた。

二度目は20年前の新婚当初、例の食いしん坊の師匠が道楽で中古のロンドンタクシーを買ったので、2人で押しかけてドライブしてもらった。小雨の降る日で、帰りに横浜の、まだ周冨輝が帳場に立っていた「生香園」で食事をしたのを覚えている。

そして三度目、私はあいかわらず深い感動に捉えられつつ歩き回ったのだが、学生たちは皆今ひとつピンとこない様子で、それはそれで好ましかった。こんなところで興奮する方がヘン、あるいは危険である。咸臨丸から約半世紀、あいかわらず借金まみれの輸入品ではあっても、これだけの巨大な機械、そしてその群(艦隊)を「手作業で」操るようになった私たちの先祖。そのムチャぶりの象徴が、何を考えているのか分からない小男、東郷平八郎だ。凱旋記念写真のなかでふんぞり返る大臣ゴンベエの横にぼんやり座っているこの男が、多くの兵を犠牲にすること必至のムチャな判断を下したのだ。私はこの何から何までムチャな世界を愛しているのだが、そのムチャさゆえに、学生たちがピンとこないのも当然である。

軍港めぐりの方は、ロナルド・レーガンは作戦中でおらず、穴の開いた2隻のイージス艦マケインとフィッツジェラルドが仲良く並んでドックに入院中。ソマリアで海賊対策に従事した護衛艦隊やら、木造からプラスチック製に代わった掃海艇やら、スネ夫が自慢するプラモデルのような「いずも」やら、学生たちにはこうした現在の方が勉強になったようである。

帰りにどぶ板通りでダブルR(ロナルド・レーガン)バーガーというのを食べたら、普通のハンバーガーの4個分くらいあって、50歳過ぎの胃には拷問だった。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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