地域社会学が役に立つとき:最高裁判事「審査公報」を見ながら

「地域社会学やめます」と何度もこのブログで言ってきたが、それでも「地域社会学は役に立つな」と思うときもあって、それは何より選挙の時だ。小選挙区制になり区割りが変わっても選挙結果は地域社会構造を何ほどか反映しているので、ほとんど「これは意外」という結果に出合わない。

いや「反映している」というのは正しくなく、本当は「反映させている」と言うべきだろう。地域社会構造を味方につけた政権与党が、自分に有利なように作った選挙制度なので(選挙制度とはそういうもの)、わざわざ全国調査しなくても選挙結果からそれぞれの地域社会構造を把握できるのである。

比例区が小選挙区と全く異なる制度設計になっていると、地域社会構造と異なる社会構造、たとえば階級とか民族といったことが露わになるはずだが、比例区は小選挙区を補完するばかりで、そうならない。

しかし、それではやはりダメなのではないか。グローバルな世界で海千山千の国々とガチでやり合っていく政府を構成するメンバーが地域社会構造の反映では・・・。やり手の社会運動家やビジネスマンを選んでいる合衆国を見習うべきではないか。

さて、今日の本題は選挙ではなくて最高裁判事の国民審査の「審査公報」である。地域社会学者の目で見ると、まず7人の対象判事のうち6人が地方出身であることが興味深い。ただし細かくみると中身は微妙で、高校まで地方(神奈川や大阪は大都市圏とみる)なのは2人だけである。1950年代生まれの彼らは、まさに「社会の全般的都市化」のただなかに育ち、「東京のエリート」への階段を上っていったのだ。

より興味深いのは2人の北海道出身者だ。1人の履歴には「自然豊かな然別、釧路、室蘭等で少年時代を過ごした後、札幌南高校に進学し」とある。これは実家が農家でも漁師でもなくて、教員か警察官ということだろう。もう1人の履歴には「赤平市で生まれ、札幌市、三笠市で過ごした後、東京に転居し」とある。これは実家が炭鉱会社の幹部社員で、炭鉱の衰退とともに東京に引き上げたということだろう。2人ともある意味では北海道らしい履歴だが、マジョリティというか庶民というか、そこは確実に外している。だからエリートになれたのだろう。

それでも、やはりこの7人は何ほどか地域社会構造とその変動を反映している。1960年代生まれの私たちの世代でも、たとえば西原理恵子の『女の子ものがたり』を読めば、地域社会構造とその変動を反映している。でもその先はどうだろう。逆に文化人類学者のアイファ・オング(王愛華?)のような、ペナン生まれ、コロンビアン大卒といったグローバルな履歴が並ぶだろうか。そうもならないだろう。きっと首都圏生まれ、育ち、大手私大卒ばかりになってしまい(1人の判事がまさにそう)、地域社会学の出番はなくなってしまうにちがない。その意味でも、やはり「地域社会学やめます」。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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