社会科学の一平民:社会学的思考の基礎3

敬愛する年長の同僚から、「社会学は問題の発見に優れ、経済学は問題の分析に優れ、法学は問題の解決に優れているのだから、そのシリーズで連携できるといいね」と言われ、なるほど「社会政策科学科」の方針としてはその通りだと思いながら、一方でそれはきわめて(近代)経済学的な思考法だな、とも思った。

社会調査法の授業で毎年「主成分分析」と「因子分析」を教えるとき、両者のちがいをどう教えるか思案してきたが、要は、前者はH.ホテリングという優れた経済学者が考案し、後者はL.サーストンという優れた心理学者が考案したものだと考えるとすっきりするということに、今年になって気がづいた。つまり「主成分分析」がそうであるように、個々の現実的な要素を組み合わせて(加重平均的に足し上げて、あるいは分業して)最適解を出す、出せるはずだというのが、私の見るところ経済学的思考なのである。

しかし、その考え方は楽観的で私は好きだけれど、別の考え方もあろうかとも思う。まさに「因子分析」的に、どの社会科学にもまだ自覚されていないより根底的な思考があり、それこそが真の解決をもたらすのだとか、あるいはそれぞれが互いの弱点を突き合っているのだから、そこを「アウフヘーベン」したところに唯一の社会科学があり、それこそが真の解決をもたらすのだとか。上記の同僚は「社会学には哲学臭があるよね」とやんわりと批判していたが、こうした考え方はまさに「哲学臭く」、高田保馬のいう「社会科学の一平民」には相応しくない。しかし、「根底」や「唯一」でなくても、互いの見え方の偏りを批判し合うことは健全であると思うし、そうした批判精神を涵養する上では、仮に、あくまで「仮に」ではあるが、「根底」や「唯一」の立場に立ってみることも有用であると思う。

問題発見にジャーナリスティックな勘のない私としては、この「総合なき批判」に社会科学の一平民としての社会学の立ち位置を見出したい。やや代々木的ではあるが・・・。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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