叱り甲斐のない若僧:掛川トミ子先生の思い出

昔々、まだ駆け出しの頃、後に『群衆の居場所』の第5章「群衆を呼ぶ声」となる研究を「新聞社焼打」という論題で日本社会学会大会で発表した(初出論文としては『年報社会学論集』7,1995)。会場の最前列に眼光鋭い銀髪のオカッパの年配の女性がいて、発表が終わるやいなや、厳しい声で私の勉強不足を叱り、とくに明六社以降の慶応系の新聞人についての理解が足りないという趣旨の批判をされた。その頃の私は指導教官の顔色ばかりうかがっていて、自分の話を何とか住民運動とかコミュニティといった言葉で粉飾しようと躍起になっていた。だから「共同性感覚の階層差」などと、何も言っていないようなつまらない結論をつけていた。そんな私だから、この女性の批判も全くピンとこず、「これから勉強します」的な不誠実な回答をしたように覚えている。

部会が終わると、その女性は私のところにやってきて、「今日はあなたの報告を聞きにきたのよ。私は掛川といいます」と、穏やかに自己紹介された。不勉強な私も、目の前の女性が岩波文庫のリップマンの『世論』の翻訳者、掛川トミ子先生だということはすぐに分かった。でも、あいかわらず私は馬鹿で、そんな偉い先生が聞きに来てくれる俺の方が偉い、などと思い上がって、一応慇懃無礼なお礼の言葉を申し上げたものの、なぜ掛川先生が私の報告を聞こうと思われたのか、全く考えもしなかった。私は、実に情けない、全く叱り甲斐のない若僧だった。

そのことに、今日尊敬する同僚、小林直毅先生と話していて、ふと気がついたのである。小林先生と別れてから、私は泣きそうになった。

ただ人の気を引きたいだけで付けた「新聞社焼打」という題も、ちゃんと考えれば、メディアが民衆と対立する、あるいは民衆がメディアに立ちはだかるといった、きわめて歴史的かつ社会的な事実を示唆し得ており、またその事実は社会史とメディア史の並行、交錯として初めて理解でき、さらに「朝日、死ね」などという言葉が踊る現在にも通じる構造的問題だったはずだ。そうした可能性をおそらく掛川先生は先物買いしててくださったのに、売った本人は自尊心と依存心に凝り固まっていて、大化けさせることができなかった。『群衆の居場所』にもそうした視点は皆無である。

せめて今気づいたことを幸いと思い、小林先生はじめ日本有数のメディア論の専門家を擁するわが学部で、もう一度自分の専門を鍛え直してみたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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叱り甲斐のない若僧:掛川トミ子先生の思い出 への2件のフィードバック

  1. のコメント:

    掛川トミ子先生はお元気でいらっしゃるのでしょうか。
    ここで紹介されている20余年前に、関西大学の学生でした。

    これまで時々に先生のことが想起されつつ…先月には西部邁氏の自死、先日の産経のデマニュース等々、折々に…研究者でもなく、身体虚弱で貧困層にある非正規労働者で、いろいろが滞ったままの毎日からは、ご様子は窺い知れないことでして。

    まだネット社会といった呼称のない時分に、マスメディアに係る遣り取りの双方向化がもたらせる、コミュニケーションや社会の変容への関心を仰せでいらっしゃいました。わたしは安楽と短絡は予想できましたが、ロクなことにはならないと思っておりまして、この先どう転ぶかわからないというワクワク感さえ抱けずじまいでした。
    意外だったのは、新しいコミュニケーションは、贅沢ではなくて貧乏人には親和的だったこと。もう一点は、臆面なく馬鹿でいられるのは有名税と引き換えだからこそではなくて、タダでも(むしろマイナスだろうに)こうして振る舞える人がいっぱいいたことです。
    自尊感情は、恰好に頓着せず、道理や善悪に拠らず、もっぱら勝ち負けの範疇にあるようで、仮託するのは例えばせいぜいタイガースに留めておかなければならなかったと、切実にこう感じてしまう社会に到りました。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    堤さん、コメントありがとうございます。掛川先生にお目にかかったのはあれきりで、ご健在かどうかも知りません。私は自分の仕事にあまり誇りを持てないでいるのですが、こうした一期一会だけは、この仕事でよかったなと思えます。メディア論はとても怖い先輩がいるので手を出さないでいます。幸いそちらの方面では、私の群衆論はほぼ存在しないも同然なので、安心です。

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