お前の悪いとこ、ちっとも直ってへんな:東京都写真美術館のE.スミス展

今日は都心に出て複数の展覧会を巡った。一応研究ということにしておきたい。まず訪れたのは、東京都写真美術館の「生誕100年ユージン・スミス写真展」。

実はこの美術館には因縁がある。私は写真が好きで、バブル時代の仮開館の頃から時間があればよく通っていた。しかし東京を住処としなくなってから一度も訪れなかったので、ほぼ四半世紀ぶりの再訪ということになる。その四半世紀前、幕末の江戸を外国人が写した写真の展覧会で(いかにもバブル期の「江戸東京」!)、撮影場所のキャプションが間違っていると思ってクレームの手紙を出したことがあった。もちろん返事はなかったが、その写真が「とんぼの本」になったとき、キャプションはしっかり私の指摘通りに訂正されていて、ご丁寧に「ちゃんと考証してます」という言い訳まで記してあったのである。

今回の展覧会もやはり問題はキャプションだ。まず写真なのに、機材やプリントの情報が一切ない。もし掲載雑誌”LIFE”からのスキャンなら、どの号のどのページか展示することも可能だったはずだし、スキャンならスキャンと書くべきだろう。さらに英語のキャプションに’untitled’とあるのに、なぜか妙に詳しい日本語のキャプションがついていて、そのいくつかは明らかに間違っている。たとえばスペインの教会の扉にたたずむ幼子を抱く若い母(こう書くとスミスの作為性が際立つ)の横を黒いベールを掛けた老女が通り過ぎる写真に、なぜか「貧しい母親と司祭」と振ってある。司祭はベールを掛けないし、もし司祭なら洗礼式の後だから、お礼の挨拶ということになるはずだ。この写真も’untitled’である。要するに必要なことを書かず、余計なことを書いている。だんだんムカムカしてきて、つぶやいた。「お前の悪いとこ、ちっとも直ってへんな!」

スミスは報道写真家である。ゴッホやウォーホールではない。作家性をねつ造してはいけないし、むしろ一連の水俣の写真が創り出した神話性をはぎ取って、報道写真家としての撮影行為そのものに迫るように、生誕記念展は構築されるべきでなかったか。ということで、これまたプンスカアート鑑賞になってしまった。

次の展覧会に移動する間に、湯島の「デリー」で「カシミールカレー」を食べた。これも四半世紀前、食いしん坊の師匠に連れて行ってもらったときは、ただ辛いだけで美味しいと思わなかったが、今回はその辛さの美味しさが少し分かった。四半世紀とはそれくらいの変化を可能にする時間だと思う。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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