机上の空論にこだわりたい:赤坂憲雄/寺尾紗穂往復書簡を読んで

朝日新聞に2017年末から18年初にかけて計6回、民俗学者の赤坂憲雄と歌手・ルポライター(こうした「多足の草鞋」は近頃の才人の特徴かも・・・)の寺尾紗穂との往復書簡形式のエッセーが掲載されていた。その2通目、寺尾紗穂からの書簡の中にとりわけ興味深いフレーズが2つあったので紹介して、検討したい。

1つめは彼女が第一著『原発労働者』を刊行したときにマスメディアでセンセーショナルに取り上げたことへの違和感から、「マスメディアが掲げる『わかりやすさ』に対する距離感が自分の中に生まれてきた」と言っていることである。もう1つは、赤坂の民俗学への共感を語るときに、「多くの学問が机上の考えや資料のみで論文を書けてしまう中で、現場に入り、人の話に耳を傾けて事象をみつめる民俗学は、地道で誠実な学問だ」と言っていることである(ここで寺尾が、学問やマスメディアがねつ造する権威主義的な「事実」に対抗して、最近政府や企業が「事故」責任を誤魔化すために多用する「事象」の語を使っていることに注意)。

1つめについては、駆け出しの頃からずっと受講生に「わかりやすくする気がない」と非難されてきた身としては(今年度も「知識ゼロの学生に学問の面白さを伝える気があるのか!」と叱責された(苦笑)。でも、4年生が知識ゼロってどうよ・・・)、複雑な思いである。私自身は、学生の低評価にもかかわらず、学問にはわかりやすさへの志向が絶対的に必要で(それは一般理論の必要条件の1つである)、それを鍛えるために、マスメディアの求めるわかりやすさ(たとえば池上彰!)にも一定程度の敬意と関心を払うべきであると考えてきた。

2つめについては、若い頃からずっと同業者に「フィールドをやっていない、持っていない」と非難されてきた身としては(それを払拭するために10年間中山間地域農村に1人で通ったが、何の成果も上げられなかった)、これまた複雑な思いである。病気をしてみて、やっと私は机上の空論が好きで、それしかできないことに気づいた。好きだといっても、少なくとも私にとってそれは「書けてしまう」といったお手軽なものではない。朝から晩まで何日も何日も本を読み、新聞を切り抜き、ビデオをクリップし、それでも1本の論文に結実しないことがほとんどだ。これは「地道で誠実」ではないのだろうか。

私にはむしろこの「東大大学院卒」で本が書けるような知識人2人が仲良く語らって、「庶民の語り」の重要性を喧伝しているところの方が胡散臭い。今どきの庶民って、イオンモールでファストファッションと中食を買って、友達とつねにラインでつながって、休みはディズニーランドで遊んで、写真をインスタにあげるような人のことをいうのではないか。そういうのは民俗ではないのだろうか。ないというなら、それは誰がそう決めているのだろう。国立歴史民俗博物館だろうか?

ただ、寺尾がこの2つの点にこだわっていることには、別の意味があるかもしれないと思った。相手の個別の事情を聞かずに自分中心の正しさを押しつけるのは、夫が妻に、親が子によくやる日本的な「ジェンダー秩序」である。それに叛旗を翻すのは、全くもって正当だ。しかしそれは、「庶民の語り」を聞くといった、他人をダシにして商売するのではなく、もっと別の方法で闘うべき敵なのではないか。私は、自分の社会学をその方向に進めていきたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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