福武社会学の真の継承者:瀬地山角編『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』を読む

山梨大学教育学部に専任講師として赴任した夏、私は何人かの先輩から「君こそが福武社会学の継承者だ」と煽てられて、塩入力先生が遺された職場の福武直著作集を全部家に持ち帰り、朝から晩まで読んでいた(福武の次男と末っ子である私の師匠たちは、そんなこと1回も私に言ったことはない)。そのときはじめて学問的に祖父にあたる、この社会学者の面白さを知ったのである。しかし、当時の私には私のやりたい社会学があり、それと福武社会学はつながらなかった。また当時の私は今よりずっと高慢だったので、まあ余技の1つとして継承すればいいか、くらいな感じだった。

読み進むにつれ、では、今福武社会学はどのように継承されたのだろうということが気になってきた。私の師匠たちは一部を(批判的に)継承し、それぞれの個性で発展させている。しかしそれは、これも高慢な言い方だが、福武社会学の核心ではないように思われた。では誰がどのように・・・。その時は結局結論を見出せなかった。結論がない以上継承のしようがない。

ハッとしたのは、次の年、瀬地山角先生の『東アジアの家父長制』(1996,勁草書房)を読んだときである。馬場修一先生の愛弟子である瀬知山先生は、中筋は何を勘違いしているのだろうと困惑されるだろうが(実際この本は福武を引用していない)、私にはこれこそ福武社会学の真の継承者だと思われた。なぜなら、その理論が変動論を組み込んだ比較社会学だからであり、そのフィールドが東アジアだからであり、その目的が政策論だからである。瀬地山社会学と福武社会学を学説史的に縁づけているのは中根千枝と村上泰亮であり、また福武門下でも高橋明善先生や山本英治先生は早くから東南アジアとの比較に取り組まれていたが、私の師匠たちはそうした志向をまったく持たず、私もまたそうした志向を持たなかったし、今も持っていない。

ちなみに私は、福武社会学の核心は戸田貞三によって定められた課題体系の1つに過ぎなかったと考えている。それは帝国の対アジア戦争の遂行を背景としていて、尾高邦雄も牧野巽も岡田謙も内藤莞爾も皆その枠内で仕事をしていった。その中で福武を他と違わせたのは、たぶん戦後すぐに国内研究に閉じこもり、その社会学的基盤を戸田から有賀喜左衛門に転向させたことと、それによってマルクス主義の他の社会科学と通話可能になったことにあっただろう。ただし、その後も福武は比較社会学的な関心を温め続け、中根千枝のインド研究を支援したのではなかったか。

さて、その瀬地山先生がお弟子さんたちと20年目にして、続編『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』(2017,勁草書房)を刊行された。私は今わくわくしながらゆっくりページをめくっているのである。80年代的な「家父長制」概念が21世紀的な「ジェンダーとセクシュアリティ」に置換されると、議論がどう変わってくるのか。依然として「東アジア」という比較の地平は有効なのか。興味は尽きない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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