さようなら「コミデザB」:カリキュラム改革で終講

12年間にわたって担当してきた学部の入門科目「コミュニティ・デザイン論B」(学生たちは「コミデザ」と呼んでいる)が、カリキュラム改革で今年度限りとなった。もともと故舩橋晴俊先生に押しつけられた科目だったし、元来ネオリベの私は最後まで気が乗らなかったが、いざ終わるとなると感慨深い。

毎年期末試験に簡単な論述問題を5問出してきた。そのうち第5問は、この数年「『いのちをめぐる共同体』について批判でも擁護でもいいから意見を述べよ」というもので、「いのちをめぐる共同体の事例研究」という括りで山谷の「きぼうのいえ」や巣鴨の「もやいの会」や富山の「このゆびとーまれ」といった事例を紹介してきたことへの感想を求めている。500人近い学生(多くは1年生)が解答してくる。

近頃「私は関係ありません」といった解答が増えてきているなと思っていたが、今年度はより積極的に批判する意見が多かった。それらの共通項を取り出すと、「いのち」は個別的で自由なものであり、また人生は選択の集積なのだから、いずれも共同体で拘束すべきでない。たとえセイフティー・ネットを張るとしても、それは政府の仕事であって市民社会の仕事ではない。市民社会が担うなら経営が成り立っていなければならないし、善意の押しつけ、自己満足になってはいけない。もちろんサイレント・マジョリティは、それは家族の領分だと書いてくるし(共同体は家族の補完)、なかには「『いのち』に意味を与えるのが共同体の本義」といった、(こちらが意図した)ルソー的解答を書いてくる人もいるが、こうしたネオリベ派が無視できないボリュームを占めていた。毎年「コミュニティを疑え」と言ってきた私としては「してやったり」というべきだが、それはたぶん私の話とは関係なく、学生たちが元から持っている「生の哲学」なのだろう。

少し社会学的分析を加えてみると、ネオリベ解答には階層的分布がある。女性男性でいうと女性(意外でしょ!)に、できるできない(知的探究心ではなく課題処理能力)でいうと、よくできると全然できないの両極に偏る。まとめると「できる女」と「できない男」がネオリベ、「できる男」と「できない女」が家族主義だ。わが学部には学科が3つあって偏差値が異なるが、社会学科がネオリベ、社会政策科学科が家族主義、メディア社会学科はネオリベというより「関係ありません」である。

ということで、私がことさらネオリベを煽らなくても大丈夫なようだから、「ちょうど時間となりました」ということでコミュニティ論から退場しよう。なお、以下はシラバスの授業計画である。

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1 ガイダンス:授業計画と到達目標の説明

2 コミュニティの定義1:社会的行為としてのコミュニティ

3 コミュニティの定義2:社会集団としてのコミュニティ

4 コミュニティの定義3:社会思想としてのコミュニティ

5 社会のデザイン1:公共政策の活用

6 社会のデザイン2:市民活動の活用

7 コミュニティの現在:のちをめぐる共同体の事例研究

8 現代社会の構造分析1:グローバル化と個人化

9 現代社会の構造分析2:公共圏と親密圏の構造転換

10 地域社会とコミュニティの関係1:現代日本の地域社会の状況

11 地域社会とコミュニティの関係2:伝統的共同体(ムラ) モデルの意味

12 地域社会とコミュニティの関係3:都市コミュニティ論の可能性

13 地域社会とコミュニティの関係4:制度的核としての地方自治体

14 コミュニティ・デザインのための社会調査法:市民参加型調査の方法

15 まとめ重要論点の再検討と質疑

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中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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3 Responses to さようなら「コミデザB」:カリキュラム改革で終講

  1. よしむら のコメント:

    度々のコメントですみませんが、私は後期の金曜5限で講義を聞いていた1期生でした。「公共圏と親密圏」の項目で介護保険制度の話が出てきたことが記憶に残っており、週末にノートを探したら出てきました。論述の内容までは思い出せませんが、ネオリベではなく家族主義でもない真ん中の回答で逃げたと思います。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    トムハングルさん、コメントありがとうございます。そうでした。金曜5限時代もありましたね。ノートを残してくださっているのはうれしい限りです。というのは、私は病気の時に全部捨ててしまったのです。もしよかったら、なんか変な話ですが、いつかコピーさせてください。貴兄がいわれる「真ん中の回答」が大事で、それができるようになることが大人になるということだと思うのです。

    • よしむら のコメント:

      次回お目にかかるときに、お持ちします。10年前の「地域社会学」も出てきました。大半は捨ててしまいましたが、私の場合は配布資料にメモしたものより、板書をノート(ルーズリーフ)に写したもののほうが手元に残っています。

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