利根川の岸辺:「国木田独歩病」が出て小さな旅に出る

今週は何度も入試の監督を務めなければならない。今日は非番だったので、ふと「国木田独歩病」が出て、小さな旅に出た。

「国木田独歩病」と言っても大したことはなく、高校生の頃偶々読んだ「空知川の岸辺」という文章(例によって小説だか随筆だか分からないような・・・)が心の底に住み着いてしまい、ときどきどうでもいいような旅をしたくなるだけだ。それに「ふと」などと格好つけているが予定を立てて出かけるので、ぶらり旅ですらない。

多摩を下りて山手線を回り、常磐線で我孫子まで行く。電車の切り離しの間外を眺めていると、年老いた白人の男性が車販の荷物を運んでいる。まさかトミー・リー・ジョーンズ?もちろんそんなことはない。切り離された電車は成田線に入り、布佐(フサ)という、ハゲの私にとっては御利益がありそうな名の駅に着いた。

駅からまっすぐに利根川に向かい、栄橋という名の、トラックの往来激しい橋を徒歩で渡る。利根川を徒歩で渡るのが今回の旅の最初の楽しみである。利根川を徒歩で渡るのは、萩原朔太郎の詩で有名な前橋の「大渡橋」以来だ。遠くの筑波山が美しい。

渡った先は茨城県利根町布川、人文社会系の学問を修めた人なら知らない人はいないだろう、日本民俗学の父柳田国男が少年時代を過ごした町である。柳田は自伝『故郷七十年』(講談社学術文庫に新収録)で、ここで見た嬰児殺しの絵馬と屋敷神の玉こそ、自分の民俗学の原点だと回顧している(この辺が即物的な宮本常一とちがうところ)。幸い、どちらも今も見ることができる。ただし玉の方は本物は博物館に出てしまい、地元のはレプリカである。

でも、私が見、感じたかったのは、この布川という町のたたずまいである。栄橋の道はたぶん水戸街道以前の鎌倉往還で、利根川が氾濫しない側、河岸段丘と自然堤防に囲まれた建物密度の濃い集落は中世以来の水運と陸運の要衝として栄えてきたのだろう。こうした、網野善彦的言い方をすれば「都市的な場」は、『一遍聖絵』に描かれた備前福岡の市だけでなく、今も全国に見られる。柳田の生まれた姫路の奥の辻川もそうである。

柳田が少年時代を過ごした旧小川邸は、今は復元されて地域の集会施設になり、近所の方がていねいに管理されている。柳田が『利根川図誌』を読みふけった蔵まで親切に案内してくださった近所の方の柔らかい物腰も、この町のそうした古さゆえと思われた。

布佐にとって返すと、こちらの方はどこまでも広がる利根川の氾濫原で、古い集落のありかもよく分からない。江戸時代には銚子と江戸を結ぶ交通の要衝だったそうだが、たぶん布川のような中世の要衝とプロト工業化時代の要衝ではちがうのだ。柳田を育てた長兄の子孫はこの地に今も住まわれているそうだが、どれがその家なのか、史蹟サインがないので分からない。それらしい家を覗いたら、大きな犬が放し飼いにしてあって襲ってきた。たちまち気分が殺がれて駅に戻り、後半の楽しみに戻った。すなわち成田線を成田まで完乗するのである。首都圏でこれほど情趣のある路線は他にないのではないかと思われるほど、楽しい「乗り鉄」だった。とくにクリークを渡る鉄橋がすばらしい。

おまけに、何という偶然、成田駅で千葉県庁に勤める大学の先輩に出合い(向こうは仕事中)、千葉駅までグリーン車でゆっくり旧交を温めることができた。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 東京漂流, 見聞録 パーマリンク

2 Responses to 利根川の岸辺:「国木田独歩病」が出て小さな旅に出る

  1. 中台一仁 のコメント:

    昨日は、久しぶりにお会いでき、嬉しかったです。成田線には、実は、安食、木下、下総松崎など難読の駅が並んでいます。私が行ったのは、栄町役場がある安食駅でした。またいつでも千葉の方にお越しください。小湊鉄道やいすみ鉄道など楽しいローカル線がありますよ。中台

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    お仕事中おつきあいくださって、ありがとうございました。少しずつこれから千葉県を探訪したく思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください