フロイトから社会学が学ぶこと:「こんな夢を見た」の項の続き

先便「こんな夢を見た」を読んだ母から「事実と違う」というクレームの手紙が来た。80近い母、これまで私の仕事に興味のなかった母がこんな専門色の濃いブログを見つけて読んだこと自体驚きだったが、なぜそうできたか、経緯を想像するのも面白い。もちろん母が「事実と違う」というのは当然である。先便で書きたかったのは、そうした母から見た「事実」に私がもう二度と荷担しないということだったのだ。その底意もどうやら伝わったらしい。

前便「『グリーン・バイブルを知っていますか』」でアメリカ社会学に対するフロイトの影響の速さについて触れた。社会学に留まらず、アメリカ社会そのものにもっと深刻なインパクトを与えたことはよく知られていて、フロイト派の精神分析に基づいて親を訴える子とか、子に訴えられたので逆上して分析医を訴える親とか、大変らしい。しかし社会学への影響に限っていえば、その大きさや深さが正しく計られ、学問的伝統として活かされてきたとは、言えないのではないだろうか。私ははじめて常勤講師として「社会学概論」を担当した時、デュルケム、ウェーバーときて、次はどうしてもフロイトに触れなければ前に進めず、そこで時間を食って、第二次大戦後まで進めなかったが、『グリーン・バイブル』でない、多くの教科書、とくに日本の教科書はフロイトにページを割いていない。しかしそれでは、フロムもエリクソンもアドルノもパーソンズも語れないではないか。

ただし、フロイトから社会学が学ぶとき、パーソンズのやり方ではダメだと思う。むしろ『グリーン・バイブル』の方が正しくて、それは個人現象(水野節夫先生の用語)と社会構造を結ぶ回路を解明するためのパイロット・サーベイなのであり、学ぶべきは理論ではなく方法なのだ。さらにそれは、社会学的思考を求める私自身のネガティヴな経験を社会にポジティヴな参画に開いていくための実践的な方法でもある。その先駆者がフロムとエリクソンなのだ。先便も、別に自分を誉めてくれなかった父母への恨み節が書きたかったのではなくて、戦後日本社会の「社会の心」(吉川徹氏の用語)を探る手がかりを得たかったのだ。

もっともフロイトとて神ではない。とくにその男性中心主義と西欧中心主義は、現代社会学の基盤としては致命的だ、フロイトの神話性に挑戦したのは、私の考えではレヴィ=ストロースだ。ちょうどホッブズにルソーが挑戦したように。だから、このブログがお勧めする本は、ホッブズ、フロイト、レヴィ=ストロースなのである。

自分でももっと深く考えたいと思っているが、誰かスパッとこの辺を鋭く切り出した研究を出してくれないものかしら。切望しています。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の「新しい学問」, 私の心情と論理 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください