「コミュニティ・トンネル」を抜けて:子どもの中学卒業式の感慨

今日は下の子の中学校の卒業式。子どもの成長への感慨とは別に、しみじみこれで「コミュニティ・トンネル」を抜けたな、という感慨が深い。「コミュニティ・トンネル」とうのは業界用語でも私の商売用語でもなく、その間ずっとガマンしていたな、といった感じを込めた安直な造語である。

よほど高給取りで何でも金で買うのでない限り、共働きで子どもができれば、保育園入園から中学卒業まで、コミュニティの一員でいないわけにはいかない。さまざまな団体や行事に動員されるが、親方は皆土地持ちで長く住んでいる人や昼間余裕のある人なので、いつもペコペコしながら子方の地位に甘んじなければならない。それでも子どものためであり、また同じ境遇のお母さん、お父さんと連帯感も生じてくるので、まったく嫌々、でもなかった。しかし、一度自由を知った人間にはコミュニティは桎梏でしかないと思う。

もっとも子どもを私学にやったり、公立でも中学校を出てしまえば、もうコミュニティに関わるきっかけはほとんどない。後は一斉清掃と回覧板送りだけの幽霊町内会員だ。少なくともいろいろな行事で学校の体育館に集まるのはこれで終わりだなと思うと、少しだけさびしい気持ちになった。

ただし、もし子どもが障がいを持っていたなら、そんな呑気なことは言っていられない。一生懸命にコミュニティの雑用を引き受けていたあるお父さんは、「俺が死んでもダウン症のわが子がこの土地で生きていけるように」と言っていた。そんな覚悟のない私は、生きてけなくなったら出ていくだけ、位のいい加減さである。

地域社会学やコミュニティ論を教えなくなり、コミュニティ・トンネルも抜けてしまった私。これからどうやって市民として考え、生きていこう。そんなことを考えながら、学校の前の坂を下りてきた。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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