「時空を超えて」居眠り:大好きなM.フリーマンの番組終わる

NHKETVで放映されてきた『モーガン・フリーマン 時空を超えて』(原題は Through the Wormhole )が昨夜で最終回。家族でおしゃべりしていて見損ねたので、録画を見直そう。

というと、子どもたちが笑う。「お父さん、いつも見ながら居眠りしてるじゃない。」その通りで、いつも途中からうとうとしてしまう。いろいろ言い訳を考える。「吹き替えの人の声が単調なんだよ。後ろで聞こえるフリーマンの地声の方が詐欺師っぽくて面白いのに」「学説ばかり羅列するからだよ。ちゃんと実例を、喩え話ではなく衝撃映像で見せればいいんだよ」「ストーリーがだんだん絞られていくのではなくて、だんだん拡散していくからなんだよ」。何だ、これじゃあまったく俺の講義だよ(笑)。

しかし、実は私は居眠りが大切だと思っているのである。それはただ退屈だからではなく、集中の結果として生じてくるので、話は忘れてしまっても、何かの印象が残っていることが多いからだ。そしてそれは次の思考の基盤になっていくのである。学生時代に読んだ吉本隆明の『共同幻想論』は、柳田国男の『遠野物語』を論じるのに「入眠幻覚」という独特な用語を使っていたが、私たちの大脳は、居眠りの瞬間何かをポジティヴにやっているのだと思う(フリーマン風なら、「私たちの脳はただサボっているだけなのでしょうか。法政大学の中筋直哉はそうではないと言います」となる)。

思い出した。黒澤明監督の『七人の侍』でも『天国と地獄』でも、木村功は肝腎なところで居眠りしていたなあ。「慰安旅行じゃないんだぜ!」(加藤武)

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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