30年ぶりのアゴラ劇場:演劇ユニット「ガレキの太鼓」復活公演を観る

先便で取り上げた、私のゼミ出身の海老根理君が出演する、演劇ユニット「ガレキの太鼓」復活公演『地上10センチ』(脚本・演出:舘そらみ)を、今回は私1人で観た。場所は東京駒場のアゴラ劇場、たぶん大学のクラスメートの卒業公演以来30年ぶりだ。それより1階にあって、東大駒場寮時代ひいきにしていた町中華の「小紅楼」が懐かしい。授業をサボって「中将湯」で熱い一番風呂を近所のお爺さんたちと浴びた後、「レバ煮込み定食」(ニラレバではなくて)をよく食べた。しかし店は(中将湯も)今はなく、劇場の待合スペースになっている。

劇の方は、葬式をテーマに複数の視線と声を交錯させることで、観客を共感させながら思索に導くスタイルの作品で、笑いも泣きも適量に盛り込まれていて、楽しめた。海老根君は演者の中心で、かつ年齢のせいか、やや他の役者より落ち着いた「お父さん」的な感じだったので、役の軽さとちょっとだけミスマッチな感じだった。もし脚本家が海老根君にあてて書いたのなら、またちがった筋書きになったかもしれないな、と思ったが、これは彼を少ししか知らない私の偏見で、実際は海老根君のしっかりあてて書かれていたのかもしれない。

ただ、終始劇の中心にいた海老根君が、終幕で曖昧な存在になってしまうのは、納得できなかった。私は何かカタストロフィックな結末が彼を見舞い、彼がそれをどう表現するかを期待して見ていたので。カタストロフィックな結末は訪れるが、それは彼の身にではなかったのだ。

葬式というテーマから、黒澤明監督の『生きる』とか、砂田麻美監督の『エンディング・ノート』とか、いろいろ思い出されたが、一番重なり合ったのは、大好きな落語の『片棒』だった。比べてみると、『片棒』がただ笑いに向かっていくのに対して(そりゃあ、落語だから)、この作品は笑いつつも思索に向かっていく。退屈な思索をナリワイにしている私が言うのも何だが、笑いのなかに思索を埋め込むこともできるのではないだろうか。

学生時代はちょうど小劇場ブームで、天の邪鬼の私は遠巻きに見ているだけだったが、年寄りになってから小劇場に目覚めるというのも、なかなかオツなもんですな。また、出かけよう!

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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