心理学や社会学が生まれた頃:『UP』掲載の渡辺茂氏のエッセイを読む

ゴールデンウィークも後半なので、遊びはほどほどにして、たまった勉強を片付けよう。東大出版会の広報誌『UP』の3月号(積ん読過ぎ!)掲載の、渡邉茂「獨逸実験心理学の栄光とハンスの没落」を読んでみた。冒頭でビックリ、「マックス・ウェーバーは変化が感知できる刺激の強さはもともとの刺激の強さと比例することを発見し・・・」。そうか、ウェーバー=フェヒナーの法則はM.ウェーバーの隠れた業績だったのか。んな訳ない。マックスより1世紀近く前の解剖学者エルンスト・ウェーバーです。慶應大名誉教授の渡邉先生はかなりご高齢のようで、また理系の先生にはこうした正確さを軽んじる方が多いので、問題は『UP』の編集者だろう。先便で文化人類学者A.クローバーをクロエバーと書いた岩波新書編集部を腐したが、今度は東大出版会か・・・。いまどきの編集者の仕事っていったい何?

もっともエッセイ自体は比較的面白かった。とくに「獨逸実験心理学」のみならず近代的心理学の父であるW.ブントを、前史と後史も含めて紹介しているところが興味深い。ライプチヒ大学の学統は、E.ウェーバーが解剖学、G.フェヒナーが物理学、ブントが哲学教授の順である。ブントは初の心理学教室を開設したものの、終生講座は哲学だったそうだ。ちょうど教育学講座から逃れられなかったE.デュルケムに似ている。ところがエッセイの後半には、ベルリン大学「心理学」教授C.シュトンプの名が1904年の日付とともに出てくる。つまり心理学や社会学は、ブントのような偉大な先達のおかげで、20世紀初頭やっと1つの講座、学科として自立できたのである。その際どこを通って、どこからどのように自立したのか、興味は尽きない。

M.ウェーバーはもちろん心理学者ではなかったが、彼の聖典「理解社会学のカテゴリー」(1913)は、冒頭で社会学を法学と心理学から分離しようと苦心している(ここが後の「社会学の根本概念」(1920)とちがう点の1つ)。その時マックスの頭にあった心理学とは何だったのだろう。少なくともそれは確立された講座、学科ではなく、一緒に生まれたばかりのヒヨコ学問だったのだ。ウェーバーの学問論というと、W.ディルタイとかH.リッカートの影響をいう向きが多いけれど、ブントとはどうだったのだろう。ところがブントの研究が日本にはほとんどなくて、グローバル学者でない私にはまったく分からない。

私たちが社会調査法で順位相関係数の考案者として習うC.スピアマンも、『西太平洋の遠洋航海者』のB.マリノフスキも、ブントのところに留学したのである。フロイトだって意識しなかった訳はないだろう。ブント、どんな人だったのだろう。勉強しなければ。

ついでに、アメリカ文化人類学の父F.ボアズとベルリン大の病理学者R.ウィルヒョウの関係も知りたいな。そういえば最近アイヌの人びと骨の標本がたくさんベルリンで見つかったというニュースを聞いたが、それはウィルヒョウのコレクションだったそうだ。

要は医学や哲学の古い地平から、20世紀の「新しい人間の学」として心理学や社会学が離陸する、その場を追体験したいのだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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