支配の社会学1:朝日5月9日朝刊13面インタビュー記事より

朝日新聞2018年5月19日朝刊13版13面に、元北海道拓殖銀行頭取のインタビュー記事が掲載されている。拓銀破綻の責任を問われ、特別背任罪で1年7ヶ月服役した人である。全体に非常に興味深い話で、聞き手の日浦統記者のまとめもすっきりしていて、ぜひ完全版、単著で読みたい話だった。専門柄、善く生き、社会に貢献した人の話を読むことが多いが、善く生きられず、社会から罪を負わされた人の話の方が、社会というバケモノが露わになっていることが多いように思う。

なかでも私に響いたのは、日浦記者が付けたのであろう見出し「都銀のプライドと淡い国のへの期待、国策の標的に」である。話の要約そのままだが、読んだとき私の頭には「支配の社会学」という言葉が浮かんだ。これは、M.ウェーバー『経済と社会』(1922、ただし死後刊行)の第9章分冊の題名であり、この膨大な教科書(!)の中心概念といえるものである。ウェーバーの造語で、もっとも世に広まった「カリスマ」も、支配の一類型として定義されているのだ。

私には「自己のプライドと、淡い他者への期待が、支配の標的に」と聞こえたのである。プライドと期待がなければ他者と自己との関係は単なる暴力的隷属である。関係が支配であるのは、自己がそこに積極的かつ主観的な意味を見出していて、だからこそそこに、自己の意味とはまったく異なる次元の目的を持った(だから、自己の主観的視点からはけっして認識できない)社会がつけ込んでくるからなのだ。

まだ思考の出発点に過ぎず、考えるべきことはたくさんあるけれども、とりあえずの結論としては、「支配されないためにできることは、プライドと期待を持たないことである」と言えるだろう。私はそれこそ「自由に生きる」ということだと思っている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の「新しい学問」, 見聞録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.