戦後日本の社会学の再度の終わり:日高六郎の訃報に接して

先便に書いたとおり、私が日高六郎を見たのはただ一回、昭和が終わった1989年の初夏、青山斎場での福武直の葬儀の場だった。一人さびしく去って行く後ろ姿に、私は感動した。あの時一度戦後日本の社会学は終わったのだろう。それから30年、もう一度戦後日本の社会学は終わったのだ。最初は政策科学の可能性が終わり、今度は運動の思想が終わった。では、それらの荒れ野の上に、どんな新しい社会学の花が咲きつつあるのだろう。

戦後50年の節目に刊行されるはずだった東大出版会の『講座社会学』の、それも社会運動の巻だから、私は日高六郎の話で始めようと思った。でも何の評価も受けなかった。日高六郎はもうそうした存在でしかないのだと、私はひとりごちた。でも、清水幾太郎がそうであったように、これから日高六郎論もいっぱい出てくるにちがいない。清水幾太郎論のときも、私のはまったく無視されたが(唯一小熊英二氏だけが資料的文献として挙げてくれている)、そうした日高六郎論にも私の議論はまったく影響を及ぼさないにちがいない。それはそれでいいので、よい日高六郎論が出るといいと思う。

副田義也先生が、北川隆吉先生を追悼する、庄司興吉編著『歴史認識と民主主義深化の社会学』(2016,東信堂)で、富永健一先生の『戦後日本の社会学』(2004,東大出版会)が日高を無視していることに噛みついている。たしかに富永先生は、清水幾太郎は取り上げたのに、日高、高橋徹、見田宗介、あるいは作田啓一といった、後世から見れば清水からつながる一本の筋に見える流れをまったく書き込んでいない。先生には先生のお考えがあったのだろうし、その真意を親しく聞いてみたい気がするけれど、やはり後世の者には困った学史である。その意味でも、よい日高六郎論が出るといいと思う。

それならお前が書けばいいだろう、って。実は今の私は日高六郎にほとんど関心を持っていない。だから書いてもロクなものにならないだろう。だから今日はただ感慨に浸るだけである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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