祖父が与えてくれた学問:江上波夫他『日本人とは何か』を読み直す

父方の祖父は1910年生まれ、丹波焼(立杭焼)の産地の隣の集落の、有力分家の末っ子に生まれ、絵と文学(『赤い鳥』の読者投稿家)が好きだったが、家が困窮していたので御影師範学校に進み、遠い親戚の中筋の家に婿養子に来た。龍吉という名は、自由民権運動のシンパだった彼の祖父の名を受け継いだのだという。運動に走って家産を傾けた父の名をわが子に贈った曾祖父は立派だと思う。

私が幼児の頃、すでに祖父は小学校を退職していて、暇なので私を一日中英才教育していたらしい。忘れられない思い出の1つは、5歳の初夏、早朝神戸の家を出て、なぜか福知山線の丹波大山駅まで行き、次の下滝駅まで歩かされたことだ。昔の国鉄の一駅間は幼稚園児の歩ける距離ではない。2005年に祖父の死の知らせを聞いたとき、目の前に、疲れてしゃがみ込んだ幼い私に遠くから微笑みかけるその時の祖父の姿が蘇ってきて、泣けて泣けて仕方がなかった。

高校生になって、私が大学で文化人類学を学びたいと言ったとき、祖父は一冊の本を貸してくれた。江上波夫ほか『日本人とは何か』(1980,小学館)、江上波夫と梅原猛が問題提起し、上山春平と中根千枝が司会したシンポジウムの記録である。前便に書いたように、小学校の頃祖父のスヴェン・ヘディン全集にはまっていた私は、江上のホラ話はするする入ってきたし、その江上に噛みついてばかりいる後輩の西嶋定生の頑固さにも好感を持ったた。一方、梅原猛や上山春平は何とはなしにみみっちく感じて、それだけの理由で、京都大学を受けるのはやめようと思った。そのうち、岩波書店から『へるめす』という雑誌が出て、そこに載った文章はどれも、このシンポの議論をひどく古くさく感じさせた。そうして私はこの本を忘れてしまったが、祖父は、この後小学館が出した『日本民俗文化大系』をコツコツ買い揃えていった。それは今、私の大学の研究室の棚にある。

ふと思い立って、『日本人とは何か』を古本で買い直し、読み直してみたら、昔の感動が蘇ってきた。やはり江上波夫は面白い。一方、梅原猛も今読むと面白いし、その梅原と果てしなくいがみ合っている大野晋の独特の個性も懐かしい。それら以上に、吉野ヶ里も三内丸山もなかったとき、出アフリカもミトコンドリア解析もなかったときのこの本の議論は、かえって今読み直す価値があるかもしれない。

昔も今も、私には日本人が何かも、民族の起源も、どうでもいいけれど、そうした問いを通して、江上波夫のように歴史的な「世界」を考えることは、たとえ目前の狭い事実に固執する社会学者であっても、必要なことではないかと思っている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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