もう土台が腐ってしまってる?:総理府統計局HPの総人口グラフを見て

中学高校の同級生たちから見れば、何より数学ができなかった私が大学院で統計学(ほんの初歩ですが)を教えていることは爆笑でしかないだろうが、でも教えているのである。先日も棒グラフの読み方、書き方を教えていて、「棒の途中を波線で切ってあることがありますが、印象がちがって見えるので要注意です」と言った。

先月27日の朝日新聞朝刊に総務省統計局が小中学生向けの統計データ検索サイト「キッズすたっと」を公開したという記事が載っていた。大臣が記者会見までする力の入れようだそうである。さっそく見てみると、教科に関する統計表がいろいろ検索できるだけで、表自体は子ども向けに工夫されておらず、検索も子どもひとりでは無理だろうと思われた。いや、スマホで育った今どきの子どもは、何でも検索できるのかもしれない。だが、ただ検索すればいいというものではない。データの質を確かめるのには大人の指導が欠かせない。

ページのリンクに「統計ダッシュボード」というのがあって、統計をグラフで見られるというので開けてみて驚いた。表紙ページの総人口の棒グラフが「急減」に見えるのである。グラフの右端ではもう限りなくゼロに近くなっている。よく見てみると、Y軸の底が1億2650万で、グラフ全体の減り幅は40万人だった。さらにクリックすれば、「漸減」とさえ読みとれない、正確なグラフを見ることができる(デザイン的にはそのグラフも?だが・・・)。要は「棒の途中を波線で切る」どころか、「波線」そのものを切ってしまっていたのだ。

別のリンクではグラフの書き方をていねいに解説しているが、「波線で切る」ことの長所短所も「波線で切ったこと自体を書かない」ことの怪しさも一切触れていない。これを子どもたちに学ばせるのか。霞ヶ関でもっとも地味だと思われる総務省統計局がこの体たらくなら、私たちはいったい政府のどこを信用すればいいのだろう。もう土台から腐ってしまっているということなのだろうか。

偉そうなことは言えないので、たまたま今読み直している私の同業者の本の中に、「1925年から34年生まれは、国民学校で極端な軍国主義教育を受けた世代」と書かれていたが、これは全くでたらめだ。国民学校は1941年から1947年に存在したので、その間に在学していたのは形式的には1929年から1941年生まれ、実質的には1930年代後半の世代だし、そこでどんな教育が行われていたかも自明でないし、そもそも戦争末期になると、空襲やら疎開やらで「教育を受けた」と言えるほどのことがなされていたかも、定かでない。そんなことは妹尾河童『少年H』を読めばすぐ分かる。そうしたことをていねいに検討せずに、格好つけて断言してしまうところが、うらさびしい。

地味だけれど正しいことを言ったり、やったりするのが本当に難しい世の中になってきた。私も含め、教育機関や官公庁など、容易に発信できる立場にある者ほど心してかからなければならない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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もう土台が腐ってしまってる?:総理府統計局HPの総人口グラフを見て への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    細かいことを補足すると、国民学校を尋常科6年だけでなく高等科2年も加えて考えるなら、そこを経験したのは1927年生まれからになる。妹尾河童は1930年生まれで中学に進学したので、国民学校には5、6年生しか通っていないはずだ。なお「利益相反」の疑いがあるので記すと、前便で思い出した祖父は当時まさに国民学校の訓導で、子どもたちを鳥取県の村まで疎開させるのに付き添い、汽車のデッキから子どもたちが落ちないか(寂しさのあまり)、神経を磨り減らしたと言っていた。そして自分の家の疎開のために、神戸市から兵庫県への配置換えを申し出、山奥の学校に転勤した。祖母は、あのとき龍さんには悪いことをした、あの配置換えがなければ、もっと出世していた、と言っていた。

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