パッと言えてしまうようなことを言ってみる:8月5日朝日朝刊「折々のことば」に寄せて

朝刊(朝日8月5日)を開くと、「折々のことば」で鷲田清一が大澤真幸の「パッと言えてしまうようなことは大したことはないんです」という発言を紹介している。「大したことはない」という言い方に、パッと嫌な思い出が蘇り、パッと言ってみたくなった。

大澤氏が研究室の助手(今の助教)をながく勤めていた、私の大学院生時代は、教師学生、先輩後輩、仲間同士、互いに「大したはことない」と言い合うような、あまり居心地のよくない空間だった。その頂点に大澤氏がいて、そこから「侮蔑の滝」(サン=シモン公の言葉)ならぬ「『大したはことない』の滝」が流れ落ちていた。その最下流にいた私は、何とか「大したこと」を言えるようにならないと、就職できないし、一生この人たちに馬鹿にされて過ごすことになる、とビクビクしていたし、その逆に、自分より弱そうな誰かを「大したことはない」ということで、卑小な安心と快感を得ていた。

研究室の外に出れば、「食いしん坊の師匠」に連れられて食べものやを巡る、もう1つの生活があり、師匠は「台なし」という言葉をよく使ったが(せっかくいいところがあるのに、という含み)、他人の仕事に「大したはことない」などとはけっして言わない人なので、私はそこに逃避していた。

いまこの言葉に接して、むしろより強く異論を唱えたいのは、「パッと言えてしまうようなこと」の方である。たしかに「パッと言えてしまうようなこと」には、この国の場合、場の空気を読んだり場を占拠したりするための、イス取りゲーム的発言が含まれるが、それ以上に、最初の違和感をまず言葉にしてみたい、その言葉を皮切りに思考や議論をスタートさせたい、といった衝動に駆られたものの方が多いように思う。だから自由で民主的な公共圏(コミュニケーションの総体)には、皆が「パッと言えてしまうようなこと」をパッと言い合うことが絶対的に必要で、逆にそれを抑止するのは、押し黙った皆の前に、満を持して支配的な言葉を述べたがる、専制者のメンタリティだ。

といっても、私は相変わらず意気地なしで、「パッと言えてしまうようなこと」をパッと言う元気さをあまり持ち合わせていない。でも、こうした場所ででも、できるだけ「パッと言えてしまうようなこと」を言っていきたい。そういて「大したこと」が支配するような非民主的な世界を破壊していきたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の心情と論理, 見聞録 パーマリンク

パッと言えてしまうようなことを言ってみる:8月5日朝日朝刊「折々のことば」に寄せて への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    『UP』7月号で、立岩真也先生がここに書いたことを先に書いてくださっていた。立岩先生は「大きなことを早口で言う人たち」と書かれている。私は、その猿マネをして大きそうなことを早口で言い、立岩先生をがっかりさせたことを思い出す。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください