極私的ゴダイゴ論序説:「愛の国ガンダーラ」の続き

前便のラブホテルガンダーラの話は、Facebookの方では泊まる話で盛り上がったが、書いた私自身はガンダーラの「歌」の方に考えが広がっていった。

ゴダイゴに限らず、私はずっとポップスに暗いので、気の利いたメディア批評ができるわけではないのだが、最近ちょっとゴダイゴのことが思い出されたのだ。そのきっかけは、先日のオウム幹部たちの一斉処刑のニュースである。彼らが杉並の街頭に現れたとき、私にはゴダイゴのパロディのように見えたからだ。確か「ガンダーラ」を歌うとき、ゴダイゴはオウムと同じような白い、ダラっとした学生服みたいな服を着ていたように思う。そして、「ガンダーラ」も「ホーリー・アンド・ブライト」も、どこかニューエイジの雰囲気を漂わせていたように覚えている。というか、そこが私は大嫌いだったのだ。

もっとも、最初はゴダイゴの音楽が好きだったのだ。小学生の私は、『男たちの旅路』というNHKのドラマ・シリーズにはまっていたのだが、その劇伴が実にシャープで魅せられた。タイトルロールにはミッキー吉野とあり、たしか劇のなかで、「若者に人気のバンド、ゴダイゴ」というチョイ役もやっていたと思う。『男たちの旅路』は、シリーズ中の1本「車輪の一歩」が福祉研究者なら知らぬもののない傑作とされていて、もちろんよく覚えているが(斉藤とも子より斉藤洋一の方を!)、個々の回より、全体を通して俳優たちのエロキューションの個性(水谷豊と桃井かおり、いや、何よりも鶴田浩二!、好きだったなあ)が好きだった。走る若者たちをミッキーの劇伴が追い、鶴田浩二が語りはじめると劇伴はいったん止む。語り終えると、劇伴は静かにその余韻に寄り添う。全体に音のドラマだった。

しかしメジャーデビューし、同じくテレビシリーズ『西遊記』の挿入歌でブレイクしたゴダイゴは、まったくちがったものに見えた。子供心に、それは即物的な音楽ではなく、イデオロギーがまぶされたカルチャーに思えたからだ。今聴いてみると、即物的な音楽としても実によくできていて、逆に当時の私がなぜあんなに嫌ったのか、自分で分からない。とにかくあのカルチャーが嫌だったのだ。

その後杉並の街頭にオウムの教祖が現れたとき、私にはミッキーの醜い戯画のように思われた。そのときゴダイゴは活動を休止していたと思う。ゴダイゴ、誰か深く語ってくれないだろうか。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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