ハルハ河からの手紙:NHK「ノモンハン 責任なき戦い」(15日総合)を見る

見ているときには漫然と、ああいつもの「何よりもダメな日本」(菅孝行氏の言葉、「日本、スゴい」の逆)の物語だな、と思っただけだったが、後で同業の先達のFacebookへの書き込みを見ていて、急に、強く思い出されたことがあった。それは、2人の主要な登場人物、自決を強要された井置捜索隊長と自決を強要した辻参謀の両方の息子さんが出演していて、それぞれ父親が家族に宛てた手紙を紹介したシーンである。いわばこの番組は、「硫黄島からの手紙」(C.イーストウッド)ならぬ「ハルハ河からの手紙」だったのだ。2通の手紙は、いずれも自らの職責に一点の曇りもないと断言している。実際には、1通は事件当時事実ではないものとされ、もう1通はその後事実ではないものとされたのだった。

その後考え込んでしまった。息子たちにとって父とは何だったのだろう。社会から非難される一方で、「俺は正しい、俺を信じろ」と言う父に、息子としてどう向き合えるのか。よくも悪くも理念的な存在として縛ってくる、その力にどう抗えるのか。考えると、だんだん息苦しくなってくる。なぜ父たちは、正しくても間違っていても私はあなたの父親だ、と言わないのか、言えないのか。なぜ、とても信じられない正しさを信じることを強要するのか。

先便で触れた、若い大学院生への協力以来、近現代の日本における男性性とか父性といったことについて、少しずつ考えている。途中経過的な結論では(私の業界では「中間考察」と言います)、この「正しくない正しさの強要」は、男性性とか父性といったことの多数的部分でも中心的部分でもないように思う。多数的で中心的なのは、暴力(をちらつかせること)と同性間の共同性(を暴力の保障に使うこと、私の業界では「ホモ・ソーシャル」と言います)だと思われるが、その次にくるのが、この「正しくない正しさの強要」ではないだろうか。それは、組織の重職や社会的地位が高い人ほど乱用することが多いように思われる。

だからこそ私は、そんな正しさに抗するために勉強して、強要されてもけっして同意しないようになりたいし、そんな正しさをけっして振り回さないような人間になりたい。という意味で、この国の男に、父になりたくないと思い続けている。生物学的に父ではあっても。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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