昭和の味の小さな旅:子どもとJR太多線に乗る

21世紀に生まれ、自動車王国愛知で育った子どもは、ディーゼルカーに乗ったことがないという。じゃあ乗りに行こうということで、中央本線多治見駅と高山本線美濃太田駅を結ぶ太多(たいた)線に乗りに行った。

多治見駅に着き、オンボロの両運転台の単車がいるかと思ったら、ピカピカの2両編成、冷暖房完備で油煙臭さもうるさいエンジン音もない。わずかに連結面の排気筒でディーゼルだと分かる。子どもはやや拍子抜け。

発車まで、側線でコンテナ車の留め金を作業員が外しているのを見る。コンテナ車そのものに加え、お爺さんが手作業でやっているのが、子どもには珍しいらしい。アマゾン当日配達の時代に、旅客駅での貨物扱いはもちろん、ハンプとかカーリターダーとか、もう何のことやら・・・。これまた昭和は遠くなりにけり。

太多線は、稲刈りの進む(半分、刈田)東濃の盆地を淡々と走る。ハイライトは可児(かに)から美濃川合にかけて木曽川を渡るところだ。川合の名の通り、鉄橋の直前で木曽川と飛騨川が交わったところが、今渡ダムによって湖になっている。山水画のような風景だ。江戸時代にはたくさんの材木がここを下って名古屋を富ませ、大正時代にはたくさんの東京のハゲタカファンド(福澤とか松永とか)がここの水利権に群がって名古屋を富ませたのだと思うと、より興味深いというもの。

鉄ちゃん的オマケ。美濃川合と終点美濃太田の間に多数の留置線があり、ほとんどが空だが、3両だけグレーのシートで覆われた車両が置かれている。そのうち1両が目にとまった。3車軸の無蓋貨車、第二次世界大戦中に造られた、ものづくりニッポンお得意の出来損ないだ。でも、なぜこんなところにあるのだろう(答えはウェブで検索してね)。

終点美濃太田駅は駅舎は最新式だが配線などは蒸気機関車時代のままで、転車台もある。何と駅弁もあるらしい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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