車窓富嶽三十六景:新幹線の社会学8

休日の朝の東海道新幹線上りは、ディズニーランド通いの「オンナ・コドモ」でいっぱいだ。列車が富士川橋梁にかかると、気の利いた車掌は「今日は天気もよく、左側に富士山がきれいに見えております」とアナウンスする。皆一斉にスマホを取り出し、いったん愛鷹山に隠れるまで、インスタ映えを狙い続ける。

20年も行き来していると、富士山に目をやるのは、10月初旬の初冠雪の時くらいになってしまった。上りは家で寝足りない分寝る時間だし、下りは夜なので見ようにも見えない。それでもこうして行き来していると、浜名湖を渡るときから見え始め、安倍川の手前だけは進行方向右側に見え、小田原を過ぎたあたりから振り返り見る姿が意外と美しく、東京駅直前でもビルの合間に見えるときがある、などと経験は豊富になる。

新幹線の車窓ではないが、上京し立ての頃の冬の寒い朝、渋谷のNHKの前から見た真白な富士山は忘れ難い。若い私は、その螺旋のように天をめざすかたちに、自分のファリックな欲望と野心を映していた。今の職場の2つのキャンパスのどちらの建物の窓からも見えるし、もよりの横浜線相原駅前からも、京王線めじろ台からキャンパスに向かうバスの車窓からも見える。前の職場の山梨大学では教授会室から見えていた。

これまで見たなかでいちばん美しい富士山は、大学生の頃、南アルプス赤石岳の山頂から見た姿だ。ほぼ真横から見るので、立体模型のように円錐形に見えるのである。車窓からに限ると、身延線の特急「ワイドビューふじかわ号」上り静岡行が芝川から富士宮への坂を下りていくとき正面に広がる富士山が、もっとも均整が取れていて、かつ巨大だ。陽が落ちた後の淡い光のなか青白く輝く姿は、美しさを通り越して、凄絶ですらある。これが一番で、二番は同じく上り「ふじかわ号」の車窓、東海道本線薩埵隧道の手前から駿河湾越しに見る富士山だ。夕立の後など、三重の虹の奥に輝いていることがあった。奇態という意味では、山頂の後ろの雲に山頂の影が映るのを見たことがある。「二天富士」と言って瑞兆だそうだが、実際に見ると奇態というか、不気味である。事実、見た後たいした幸運は訪れなかった。

いつかリニア新幹線で通うようになれば、車窓の富士山も思い出話になるだろう。その頃まで元気に東京に通えていれば、の話だが。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 新企画「新幹線の社会学」, 見聞録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください