シラバスって何のため?:居眠り会議の感想

どうも、病気が寛解しても職場の会議は苦手で、ついウトウトしてしまう。夢うつつに聞いていると、お上のお達しで、シラバスの英語版を作れ、シラバスに「実務経験」を書けということらしい。

シラバスというのは、私が学生だった30年前の日本の大学にはなかったもので、半年間(これも30年前は1年間だった)の授業の概略を回ごとに短い文章で記したものである。学生に便利で、学外からの関心にも応えることができるという趣旨は分からなくもないが、書いてしまった以上いい加減にやるというわけにも行かない。私が教わった先生たちのような、一生かけて日本仏教史をやる予定だから、今年は天武朝だとか、中原中也の詩を理解するために急に必要だと思いついたから、今年は河合隼雄を読むことにするとか、訳が分からなくて面白い講義は過去のものとなった。近年はパワーポイントという舶来の道具ができて、ますます窮屈になっている。これも、黒板一面にアイデアを書き散らしては消していた日本倫理思想史の先生のようなことはできなくなった。そんなことをしたら、期末の「授業改善アンケート」で学生の非難囂々必至である。

シラバスの英語版、ああ面倒くさいな、いつまでに作るの?と思っていたら、会議の大勢は反対に傾いていった。いわく、ネイティブチェックの予算がないので、恥ずかしい英語力を世界に曝すことになるのは嫌だという。ええっ、でもそれが実力なんでしょ。フランス人だって、インド人だってキングズ・イングリッシュを話してないし、書いてもいないんじゃないの、とか思うと、また病気の素である同僚への敵意が頭をもたげてくる。いかんいかん、熟睡しよう。

実務経験?、ああ書きますよ、書きますよ、「まったく、なし」ってね。うちのお父さん、お母さん、よく言ってた。勉強ばっかりできてもネエ。おいおい、勉強しろって言ったのはあなたたちでしょう。無愛想な寿司屋がいてもいいように、ノートを読むだけの大学教授がいてもいいんじゃないの。でも、どうしても「なし」だとダメなら、シルバーさんに登録して、放置自転車の整理でもするかな。

お上の意図を忖度すると、たぶん私たちのプライドをへし折ることで奴隷化するということなのだろう。ルールを守らせることを通して人を骨抜きにするってうまいやり方だな、としみじみ思う。それならプライドにかけて戦っても意味はない。プライドとちがう次元で、ひとり生き延びる道を考えよう。

そうは言っても、精神衛生のために、最近はI.カントの『諸学部の争い』を読んでいます。最晩年のカント、戦ってます。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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