何もせんほうがええ:森谷司郎監督『日本沈没』を見る

1973年の映画『日本沈没』の中盤のクライマックスは、政界の黒幕の老人が総理大臣を呼び寄せ、自分が学者たちに作らせた「日本民族の将来」と言う報告書を手渡すシーンだ。老人は総理に3つのシナリオがあり、1つめは国土を失った日本民族が世界のどこかに新しい国を建設するもの、2つめは世界各国に散らばって帰化するもの、3つめはそのどちらも不可能な国民のためのものであると言い、最後のシナリオにはもう1つの意見が付されていて、それは「何もせんほうがええ」というものだ、と言う。それを聞いた総理は「何もせんほうがええ」という言葉を繰り返し、目に涙を浮かべる。総理を演じる丹波哲郎の情のある演技が光る名場面だったと思う。

5年にわたってR.ベネディクト『菊と刀』(平凡社ライブラリー版の新訳)を2年生の演習で講読してきたが、今年度でひと区切りにする。最近3年間は、読み終わった後の余興として「日本」を描いた映画や演劇を見、テキストと重ね合わせて議論することにしてきた。最初の年は岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』と小津安二郎監督の『東京物語』を、二年目は笈田ヨシ演出のオペラ『蝶々夫人』と黒澤明監督の『夢』を、そして今年は、歌舞伎座公演の『勧進帳』と『日本沈没』だ。

上記のシーンで、老人はこの報告書を、奈良の僧侶、京都の社会学者、東京の心理学者に徹夜で作らせたと言う。小学校2年生で見たときも、将来の自分の職業とは知らずに、この「社会学者」という言葉が耳に残った。原作で確かめた訳ではないのでよく分からないが、この3人の組み合わせはたぶん言葉のアヤで、特定のモデルはいないのだろう。でも今見ると、少なくとも社会学者は誰だったのだろう、と想像が広がる。こんな大きな仕事ができる京都の社会学者といえば、当時も最近までも作田啓一ただ1人だったろうが、私はそうではなく、広い意味で社会学を捉えれば梅棹忠夫だったろうと思う。でも個人的には吉田民人先生だったと考えると面白い。もっともその場合のシナリオは2×2で4つだ(笑)。一方の東京の心理学者は、当時なら南博か宮城音弥だろうが、正直あまりイメージが広がらない。逆に京都の心理学者、東京の社会学者なら、河合隼雄と中根千枝で決まりだろう。

今なら? 国難に立ち向かう英雄という意味で、京都の社会学者も東京の心理学者もまったく思いつかない。小熊英二さんとか香山リカさんとか、かなあ? ちょっと前なら上野千鶴子先生と小倉千加子さんだとジェンダーフリーだけれど、霞ヶ関にその選択は無理だろうな、などなど。いずれにせよ、私でないことは確かである。老人に選ばれても霞ヶ関が困ってしまうだろう。

小学校2年生のとき、封切りでこの映画を見たのは、震災前の阪急三宮駅のガード下にあった「三劇」だった。電車の音のする映画館である。亡き父と2人で映画を見に行った、たった1回の経験だ。見終わった後、近くの洋食屋「ナカジマ」でハンバーグランチを食べた。私のなかの最良の父は、あの1日の思い出である。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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2 Responses to 何もせんほうがええ:森谷司郎監督『日本沈没』を見る

  1. かほう鳥 のコメント:

     かほう鳥です。こんにちは。
     私は幼い頃‘ニッチン‘を少年誌で数回読んで、これは将来実際考えうる現象だと思い、本当のことはきっと難しいのだと読まなくなり(怖かったのか‽)後に映画館のペンキ絵の前を通るのが辛かったことを懐笑しています。 館は先隣だったので。
     ”何もせん” という言葉が出ていたとは。私的には今更の感動です。日本人と日本というものを時空的なもの含めて考える、ムラのオサの涙だったのでしょうか。作品ですからね…。
     沈没ではないけれどダムの水門が開いた。古いダムの漏水から目をそむけ,利用目的も管理も堤防計画もなんもない。流入するのは人々だ。流入なのか訪着なのかはこちらの迎えようとも思うのです。
     ”何もせんほう” がいかんけど、生活者は新しい水との環境に入る。人間関係、ご近所さん位の範囲では漂流したくないですね。  長々と失礼しました。

    • 中筋 直哉 のコメント:

      かほう鳥さん、コメントありがとうございます。ムラオサ、おっしゃる通りだと思います。もうこの国にはいなくなってしまいました。流れ来る人びとはもちろん、この国から流れ出る人びとのことも、少しずつ考えていきたいと思っています。

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