先行く人の背を追って:中央大シンポ「地球社会の複合的諸問題」を覗く

同業他社の敵情視察ではないが、土曜午前は中央大学社会科学研究所のシンポジウム「地球社会の複合的諸問題への応答」を覗いてきた。営業宣伝的薄っぺらさのない堅実な内容で、短い時間だったが勉強になった。

主宰者は、中央大学文学部社会学科で私と同じ地域社会学を担当している新原道信先生である。新原先生は、私にとっていつも先を歩いていて、その背を追っているといった方で、その背がごく近くに迫るときもあれば、遠くに離れ、見失ってしまうこともあった。小さく見えるときもあれば、大きく見えるときもあった。2016年に出された編著『動きの場に居合わせる』(中央大学出版部)はものすごい傑作で、題名からもう「やられた」だった。

省みると不思議に思われるのだが、私の先生は、1987年(まだソ連は崩壊していない)、3年生になってゼミに入ったばかりの時、自分たちがやっている「地域社会学会」という学会があるから、大会を見に来なさいとゼミ生を誘った。4年生を誘われたのを、私が勝手に3年生でもいいと思っただけかもしれない。とにかく4年生の先輩と、5月のある土曜に法政大学市谷キャンパスに出かけた。まだボアソナードタワーが建つ前の、古い大学院校舎だったと思う。会場では怖そうな初老の先生たち(皆お堅いマルクス主義者)が睨みを効かせていて、「うわ、この仕事に就くと、こんなところで話すのか・・・」とビビった。そのとき聞いたのが、たぶん初めての学会発表だったろう、新原先生だった。先生の報告は「地域」社会学会の看板とは異なる哲学的な内容で、素人の耳にもやや場違いな感じがした。しかし、それが新原先生の学問の核で、ずっと先生はブレずに研鑽されてきたのである。

先生とはじめて一緒に仕事をしたのは、東大出版会の『講座社会学15 社会運動』(刊行は2003年だが企画は1994年から)の編集作業だった。先生は最初から執筆者だったが、私は最初は巻末の年表を作るくらいの下働きだった。しかし編者の矢澤修次郎先生のご厚意か、監修者の北川隆吉先生得意の「横ヤリ」(笑)で、私も執筆者に格上げしてもらえることになった。舞い上がって勝手なことばかり言っている私の先で、新原先生は自分の核を秘めつつ、その核にそぐわない保守的な企画に誠実に付き合われていた。私は自分の浅はかさを恥ずかしく思いながら、でも得られたチャンスをものにしようと焦っていた。できあがった私の論文は、自分では今でも好きだが、誰にも参照されない、独りよがりなものにしかならなかった。

自分の核を失わず、つねに私の先を歩かれている先生の背を今回も追いながら、でも私にも、少しずつ自分の核のようなものができてきたのではないかと思うのである。私からみれば、先生の学問の核は真の意味での「コミュニティ」であり、対する私の核は「市民社会」(「シビル・ソサエティ」というより「ゲゼルシャフト」)だ。これからも先生の背を追いながら、先生のように自分の核を掘り下げていきたい。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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1 Response to 先行く人の背を追って:中央大シンポ「地球社会の複合的諸問題」を覗く

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    社会学に関心の少ない方に、お節介な解説をしますと、「コミュニティ」というのは実際の行為は一瞬でも、長く深く付き合う関係を志向すること、またそれを大切にする社会で、「ゲゼルシャフト」というのはいくら関係が持続しても、その場限りの、フィフティ・フィフティの関係の完結を志向すること、またそれを大切にする社会のことです。前者の典型は「愛」で、後者の典型は「市場」ですね。

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