人事を盡くして天命に委ねる:小田原老欅荘を訪ねて

茅ヶ崎に向かう前に小田原で新幹線を降り、北条時代の小田原古城跡を乗っ越して、耳庵松永安左エ門が晩年暮らした老欅荘を訪ねた。今「ろうきょ」と入力すると籠居と出るので、それが還暦を過ぎて耳順うはずだった松永の夢だったと分かる。もちろん写真の通り、屋敷の入口にそびえる老いた欅が表向きの命名の由来で、その姿にも松永は自分を重ね合わせていたのだろう。

私が松永の名を知ったのはやはり小学生の頃、山藤章二の漫画集に松永の訃(1971年)に接して描いたものがあって、それは彼の下半身をめぐる神話(鹿児島の駄菓子のような)を題材にしていた。齢90を過ぎた老人の死がその一点で語られることに、何か爽快な感じがしたことを覚えている。

その後ずっと忘れていたが、2000年前後に現日本社会学会会長町村敬志先生が主宰される佐久間ダムの研究に参加することになったとき、財界人の知識社会学といったテーマで松永の生活史に取り組んでみた。自分では面白かったが、やはり社会学にはならず、試論的な報告書論文を書いてはみたものの、研究会からも脱落してしまった。だから研究会の成果『開発の時間 開発の空間』(2006,東京大学出版会)の共著者リストに私の名前はない。また、その後水木楊氏や橘川武郎氏の優れた評伝が出たので、私が研究を重ねる意味はなくなった。

老欅荘の手前にある記念館に飾られた松永の書の1つに、「人事を盡くして天命に委ねる」とある。「天命を待つ」の記憶違いだろうか。いや、そうではあるまい。あの松永のことだ。待っていられないが、でも生きているうちに実現するような小さいことはしたくないのだ。どこが耳順うだか・・・苦笑。

「電力の鬼」、東京電力を含め、今のどうしようもない電力体制を築いてしまった松永が、原発事故後の日本に生きていたら、どう「人事を盡く」すだろう。私の考えでは、その答は簡単で、今小泉純一郎氏がやっていることそのままにちがいない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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