いろはにほへとと書きなさい:茅ヶ崎の開高健自宅の記念館

駅から少し遠いのと、昔たくさん読んだわけでもなかったので迷ったが、せっかく茅ヶ崎まで来たのだからと、思い切っててくてく住宅街を歩き、作家開高健の自宅を作り替えた記念館を訪れてみた。

若い人には開高健って誰?だろう。いや私の世代だって、テレビコマーシャルのなかでアラスカでワイルドな釣りをしている太ったオジサン以上のイメージはないのではないか。中学生の頃、文庫で1冊くらい読んだ記憶も遠く、内容も覚えていない。

どうでもいい話をすると、同じサントリーの先輩の山口瞳と並んで、その後続々と現れてくる宣伝マン出身の作家のハシリだっただろう。またたしか『裸の王様』で芥川賞を争ったのは、副田義也先生の『闘牛』だったのではないか(古市氏の遠い先輩ということ、そのうち古市氏も偉い先生になるか?)。

ちょうど「風に訊け」展ということで、『週刊プレイボーイ』に連載していた人生相談の回答が館内にちりばめられていた。ああ、これなら覚えている。山口瞳の『男性専科』といい、大人の男になることのイメージを搔き立てられたものだが、大人になったときには、「大人の男」という概念が崩壊していた。

それ以上に思い出を呼び覚ましたのは、館内に流れていた開高の声である。絞り出すような細くて高い関西弁、お世辞にもワイルドな大人の男のイメージ(菅原文太のような)ではない。同じような悪声の関西弁の、太ったオジサンつながりで、小田実を思い出した。これが遠藤周作の声は思い出せないのだから、それだけ開高のテレビ露出度が高かったのだろう。

記念館の奥には開高の書斎が静態保存されている。臆病で陰気な熊のねぐらのようなそれは、考えたり、書いたりする場所というより、うつ病者が引きこもる場所に見えた。病気の頃の私の研究室や寝室と変わらない。そこで、開高がスランプの時、師匠の井伏鱒二を訪ねて「先生、書けないんです」と泣いたら、井伏が「紙に、いろはにほへとと書きなさい」と教えたことを思い出した。私がこうしてブログを書いているのも、「いろはにほへと」の1つかもしれない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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