あまりにフロイト的な:ある講演でのできごと

100年の歴史を持つ著名な組織の記念行事で、その組織の「生き字引」とも言うべき方が講演している。貴重な裏話を交えて会場を沸かせながら、その方は100年の栄光の歴史をとうとうと語っている。100年の歴史の後半4分の1くらいにさしかかったとき、突然その方は同じ話を3回繰り返した。そして「少し混乱してしまいました」と断って、さらに話し続けようとしたが、後は支離滅裂で、前半4分の3のなかのエピソードがランダムに取り出されるばかりだった。主催者たちは何度か支援しようとしたが、とうとう諦めて、「時間なので」と講演を打ちきった。会場は休憩に入り、参加者も騒ぐことなく次の行事に進んでいった。

最初私は、これは演者の老耄で、もしかするとそのまま倒れてしまうかもしれないと思って、意気地なく場外に逃げ出したのである。幸いそうしたことにはならなかったようで、よかった。

しかし、後で考えてみると、これは実にフロイト的な情景だったと思われる。例の「しくじり(失錯)行為」である。彼が3度繰り返した話は、実はその栄光の歴史が上位の組織によって占領される場面だったのであり、占領されたのは他ならぬ彼だった。そして会場には、私を含めた、占領した上位の組織の後継者たちが知らん顔を並べていたのである。時系列が壊れ、支離滅裂に聞こえた話も、そうではなく、「敗者の歴史」を「勝者の神話」に置き換えただけなのだ。悲しいのは、演者も私も、もはや神話的時間に生きることはできず、神話を通して勝者と敗者を逆転させることもまたできないということだ。

かつて何度かお話したとき、ほとんど歯牙にも掛けてくれなかった演者、その理由も含め、今日の講演は、私に「敗者の精神史」(山口昌男)の悲しみを強く教えてくれるものだった。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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