学位記手渡し係:職場の卒業式

毎年3月24日は職場の卒業式と修了式、卒業式本体は九段の日本武道館で2交代制なので、私たちヒラ教員の仕事は、なじみのない市ヶ谷キャンパスの、別の女子高の持ち物だった小さな教室で、1年生の時の語学のクラスごとに「学位記」を手渡す仕事だけである。はなむけの言葉を贈るしきたりだが、だんだん言うことがなくなってきた。ペアの若い先生が「仕事でつらい時は逃げましょう」とおっしゃる。その通りだ。「つらいときほど耐えてがんばれ」なんて昭和のイデオロギーは、イチローとともに引退宣言だ。

実はこの卒業式ほど、自分が教師という仕事に向いていないと思う時はない。病気になる前もそうだったし、今もそうで、たぶん退職までそうだろう。何か儀式を通してつながる実感が持てないし、持とうと努めても疲れるだけだ。もちろん、個別に関わった学生にはつながりの実感はあるが、それも目の前で急速に薄れていくような感じがする。昔読んだ『チップス先生、さようなら』とか『摩阿陀会』のようには、どうしても思えない。

今の職場に移った頃は、卒業式の前に儀礼的な年度末の学部教授会があり、その前に赤飯弁当と紅白饅頭が配られていた。しかしすぐに紅白饅頭がなくなり、次に教授会がなくなり、弁当がただの幕の内になり、とうとう数年前から、「午後の行事なので弁当は出ません」となった。よく使っている靖国神社前の和菓子舗のご隠居は、「昔はお饅頭たくさんご注文いただいたのですけれどねえ」という。私は「時代ですからねえ」としか答えられない。美しい国なんて、もうどこにもありゃしない。

これも今の職場に移った当座、私学だから平服でいいかと思ってそうしたら、年配の同僚から叱られて、次の年からスーツで出るようになった。近頃は入試の試験監督の際も「受験生からクレームがあるので、スーツ着用」といった指示が来る。今は、さすがにテイルコートにシルクハットではやり過ぎなので、いわゆるディレクターズスーツスタイルにしている。結婚パーティのために買った縞ズボンをはく数少ない機会だ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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