私の平成:それはパンドラの箱のように

いつだったか、まだ先代が帳場に立っていたからだいぶ前だろうが、東京神田神保町のカレー店「共栄堂」で遅い昼飯を食べていた。客はほとんど私だけで、小さな音の音楽が流れているのがよく聞こえた。その曲は、團伊玖磨が皇太子(新天皇)ご成婚記念に書いた祝典行進曲だった。「共栄」堂で皇室の「祝典行進曲」、昭和戦前期にタイムスリップしたような気がしたものである。今般の天皇即位関連の報道のなかでこの曲を久しぶりに耳にして、思い出したのである。

まことに畏れ多いことながら、私だけでなく同世代の人びとは、繰り返し報道される新天皇ご夫妻の来歴と自分の来歴を重ね合わせることが多かったのではないだろうか。大卒なら就職30年、私などは大学院に入って30年なので、研究生活30年ということになる。就職、結婚、育児、転職、家族の不和、職場の荒廃、上世代の死、自分の病気(皇后陛下と同じ、と主治医は言った)・・・。亡き父に呼び出され、子供ができないことを叱責されたことなどを思い出す。父は「お前たちはセックスレス夫婦か」と言った。父が低劣だったと言うよりは、誰も時代の変化についていけなかったのだ。上の子に婿を取って家を継がせなさいと、自分も婿を取った祖母は、死の直前に言った。一応社会学者で家と同族団の理論も知っている私は、ただ苦笑するしかなかった。

私の平成、それはまるでパンドラの箱のように。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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