昭和の社会学再訪:お世話になった先生方に会う

お1人は約束して、もうお1人は偶然、大学院生時代にお世話になった同業の先生方に、この1週間のうちにお会いした。約束した方は1時間半ほど、偶然の方は立ち話程度だったが、どちらの方にも昔通り親しく接してもらい、懐かしく、うれしかった。

が、家に帰ると、別の感情と考えが湧き起こってくる。若い頃、私はどのように先生方と接していただろう。たぶんこの業界で相応の地位を占めようとして、先生方のお話を純粋に聴くことなく、ただ一所懸命に自分を売り込んでいただろう。そんな青い私、指導学生でもない私に、先生方は常に先生として接してくださった。今も。

また先生方は、当時ちょうど今の私くらいの年齢で、たくさん成果を上げられ、弟子も次々と育てられ、学会の要職もいくつも引き受けられていた。そうした先生方を見て、私もそうなりたいし、いずれそうなるにちがいないと思っていた。しかし今、私は成果なく、弟子少なく、学会からはスピンアウトしてしまった。この落差は何だろう。

もちろん私の卑陋さによるのだが、それだけではない理由が少しはあるような気がする。それは、当時はちょうど戦後日本の社会学がほぼ制度的に成熟した時期で、大風呂敷な「ザ」社会学から、政治社会学、国際社会学といった専門特化した「連字符」社会学(領域社会学ともいう)の方に深化しつつあり、先生方はまさにその前線を担われていたのだった。ところが、こうした昭和の社会学の進化論は、流動化した現代社会にあって破産してしまったように思われる。だから、仮に私が卑陋でなく、先生方のご指導を純粋に学んで努めていても、やはり成果なく、弟子少なく、学会でも重きをなせなかったに違いない。

しかし、である。先生方との再会を反芻しながら、私はもう一度この昭和の「連字符」社会学の意味を積極的に考えようとしている。秋学期の学部生向けの週替わり講義の1回を、「連字符社会学の逆襲」という題で話してみようと思っている。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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