エキゾチックでノスタルジック:怪獣映画の失われた楽しみ

チャンネルをガチャガチャやっていると(これはウソ、今はピッピッですね)、『キングコング:髑髏島の巨神』という映画をやっていたので途中から見始めたが、興味を持てなくてすぐやめてしまった。怪獣映画好きなんだけど、なぜだろう。

天本英世が出てこないから、伊福部節が聴けないから、それらもあるけれど、やはり全体に流れる雰囲気に何か欠けるものがあるからだ。ひと晩考えてみたが、それはたぶんエキゾチックでノスタルジックであることだと思う。そこが怪獣映画を普通のSF映画から分けるところで、同じ怪獣(テレビ)映画でも、ウルトラマンはそうだけれどウルトラセブンはそうではない。だから私はウルトラセブンはあまり買わない。南の島に古代の巨大怪獣がいて、探検しにいった卑小な現代人と対峙する。互いの破壊や殺戮はあっても、最終的には失われていく偉大なものへの追慕と、失った私たちへの反省に行き着く。その根底には、ニーチェのいう意味で、まだ知られていない世界の広がりへの愛があると思うのだ。

本多猪四郎監督、ライトがきつくて俳優のカツラから煙が出たり、カメラマンが腹ばいになってお腹を冷やしたり、そんなどぎついテクニックはなく、見る側もキングギドラの自在な首の動きやメーサー砲戦車(特車だったか?)の一斉放射ばかり見ていたけれど、怪獣映画にこの哲学的味わいを含ませていたのは、結局彼の個性だったのではないかと思う。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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