都市騒乱を語る資格:天安門事件30年に寄せて

最近の天安門事件30年の報道を見るたびに、心の底に鈍い痛みのようなものを感じる。当時の学生運動家たちは皆私の同世代だが、当時の私はその意味での連帯感を覚えることはなかった。また、まだ自分の専門を都市と群衆に定めていたわけではなかったものの、そう定めた後も、事件を正面から考えることはしなかった。今日の朝刊に、代表的な運動家の1人ウアルカイシ氏の「民主化が実現したとき、犠牲者の霊が(生き残った)私を許してくれるよう祈っている」とのコメントを見て、私にはまだ都市騒乱の深い次元を語る資格はないと痛感したのである。

あの頃のある日、私は大学の廊下で同級生の中国からの留学生と行き会った。彼は他の留学生と母語で話し込んでおり、私に気づいたとたん口を噤んでしまった。もちろん私は中国語を解さない。私より年かさで、おそらく文革も経験していたであろう彼の、そのときの暗いまなざしを、今も忘れることができない。私は動揺して私たちの師匠を訪ね、「何かできることはないだろうか」と聞いた。師匠は「残念だが、それはない」と答えられた。その日を境に、私と彼とは互いにだんだん遠ざかっていったようだ。今は日本の大学で教鞭を執る彼とずっと会ったことはない。しかし、今気づいたのだが、師匠はずっとそのことを気にかけていられたのだ。

あの頃私たちの社会学研究室には、中国人の留学生が何人かいた。それは晩年の福武直が中国との交流に熱心だったからかもしれない。しかし事件の影響かどうかは分からないが、その後急速に減り、代わりに韓国からの留学生が増えた。韓国からの留学生たちは何人も日本の大学の教授になったが、中国からの留学生ではあの彼1人である。そんなことも今回省みられた。

世の中にはまだまだ知らないこと、いや知ろうとしないことが多い。社会学の道は果てしなく遠い。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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