うさこちゃんの「喪の仕事」:亡父のなじみの店に行く

写真はわが家のトイレの手洗いのタオルである。言うまでもなく、うさこちゃん。しかしこのうさこちゃんは特別だ。なぜならこの絵は『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』のうちの1枚で、うさこちゃんが亡くなったおばあちゃんの、森の中のお墓に花を供えに行くところを描いたものだからだ。切り取られてしまえば分からないが、でも、この絵を見るたび、うさこちゃんの悲しみを思い、翻って自らの「喪の仕事」を思う。

フロイトの「喪の仕事」の概念は、わが国ではかつては小此木啓吾氏の『対象喪失』によってよく知られていたが、今はどうだろう。あまり見かけない気がする。しかし一生かけて考えていくに値するテーマだと思う。

先日『一遍聖絵』を見るために京都を訪れたとき、ふと思い立って昼食は、かつて父が京都に住み、働いていたとき、なじみにしていたそば屋に寄ってみた。問屋街のなかにあるその店は、まだ12時前だったので、すべての席に定食のしつらえがしてあって、私のような一見さんを想定していない様子だった。15年前に父に連れられてきたときに比べると店の人びとも年をとり、繁昌の盛りも過ぎたのだろう。そばをすすりながら、どこかに私の好みではない父の好みを感じて、少しの時間ではあったが、私なりの「喪の仕事」をしたのだった。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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