一期一会ということ:朝のコーヒーを飲みながら

片道3時間半の出勤前、バタバタと淹れたコーヒーをガブガブ飲んで、美味いわけがない。しかし、コーヒーを口に含んだ一瞬、昔飲んだ、一期一会の美味いコーヒーを思い出す。

前の職場を去るとき、研究室の片付けをしていると、同僚が「お別れにコーヒーを淹れましょう」と言ってくれた。その同僚が赴任してすぐ、私は同じ大学でも彼の所属する教育学部から工学部にリストラされていたので、一緒に仕事をしたわけではない。そんな私に彼がなぜ送別のコーヒーを淹れてくれたのか、今も分からない。

よく整理された研究室に招き入れられ、湯が沸き、粉がセットされ、細口のケトルから静かに湯が注がれるのを、私は黙って見ていた。外は冷たい雨が降っていた。実は淹れられたコーヒーの味そのものを私は覚えていない。彼と交わした会話も覚えていない。覚えているのは、コーヒーを淹れてもらい、飲み終えるまでの時間だけである。その時間、私は私の初職の6年間が苦いばかりのものだったことを振り返り、心ゆくまで悲しみに沈むことができたのだ。その時間を彼は与えてくれたのだ。

何とか千家とか、全く縁がないけれど、一期一会とはこうした時間をいうのではないか。最寄り駅に急ぐ、18年後の私は、はじめてそのことを理解したように思う。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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