『東京の社会地図』よ、永遠に:倉沢進先生追悼

今日の朝刊が倉沢進先生の死去を伝えていた。享年85。先生は昭和の日本の都市社会学の中心で、高橋勇悦先生とともに東京都立大学を都市社会学の研究センターとして確立された方である。私は、師匠の似田貝香門先生が東京学芸大学時代の倉沢先生の(たぶん最初の)弟子なので、学問上の嫡孫に当たる。ただ、似田貝先生は倉沢先生とある時期から折り合いが悪かったので、私が似田貝先生と折り合いが悪くなったとき、同業者から「歴史は繰り返すだね」と笑われた。実際に学会で、互いに無視し合うご両人から同時に話しかけられて困った記憶がある。

私が最初に先生を知ったのは、はじめて日本社会学会大会に参加したときのことだ。当時徐々にSPSSなど統計ソフトが普及しつつあって(まだパソコンではなく汎用機)、私は使い方を先輩から教わり、他の大学に教えに行くくらいになっていたので、ちょっと天狗になっていた。その部会の発表者は年配の方で、明らかに多変量解析のイロハを知らずに統計資料をこき混ぜてSPSSにぶち込み、分類した内容だった。私は「分析技法がよく分からないので説明してほしい」みたいな質問をしたと思う。当然その方は「SPSSがそう計算したのだから正しいに決まっている」みたいな答え方だった。そのとき「都立大学の倉沢です」と先生が立たれ、「なぜ都市を分類するのか、どのような分類が適切なのかから議論すべきだ」と言われた。会場は、もうこれ以上議論してはならないという雰囲気になった。私は「ああ、これが大先生というものか」と妙に納得した。しかし不勉強な私は、先生があの安田三郎から計量研究の手ほどきを受けたことも、都市分類こそは先生の当初の研究テーマの1つだったことも知らなかったのである。

先生の業績は多岐にわたるが、何といっても私には『東京の社会地図』(1986,東京大学出版会)である。SPSSより前の時代、何でもプログラムを書いて計算していた時代に、東京23区のさまざまな社会統計を何枚もの500メートルメッシュ地図に落とし、都市東京の構造を浮き彫りにした昭和の社会学の傑作である。都市エスノグラフィーという言葉があるが、それが表すような個別の団体や個人の話を聞いているだけでは決して捉えられない、大数的で多様な、しかし構造化された社会こそが都市なのだということを、この研究は教えてくれる。

「僕は福武グループの『駐在さん』だったんだよ。町場の調査を分担していたからね。」背高で、アンパンマンのような大きな丸顔につぶらな瞳。東京っ子らしく、明るく歯切れのよい口跡の先生。今はもうそれを聞くことはできない。合掌。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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